【大人の教養】アレクサンドロス大王とマラッカ海峡を結ぶ「海の道」とは?
「地図を読み解き、歴史を深読みしよう」
本連載では、海峡・山脈・河川などの地形を手がかりに、世界史を読み直していく。著者は代々木ゼミナールの世界史講師で、「地図の鬼」と呼ばれる伊藤敏氏。オリジナル地図を通じて、ホルムズ海峡やシルクロードなどの歴史的背景を立体的に理解でき、歴史と地理を同時に味わうことができる。本稿は、伊藤氏の近刊『地図で学ぶ「深読み」世界史』を一部抜粋したものだ。

【大人の教養】アレクサンドロス大王とマラッカ海峡を結ぶ「海の道」とは?Photo: Adobe Stock

アレクサンドロス大王とマラッカ海峡を結ぶ「海の道」とは?

 マラッカ海峡は、スマトラ島とマレー半島に挟まれた長さ約900km、幅約65~250kmの海域で、ベンガル湾と南シナ海を結ぶ最短航路です。古くから海上交通の要衝であり、その歴史を考えるうえで重要なのが、インド洋を主要航路とするマリンロード(「海の道」)の存在です。

 この航路の基盤は、古くはオーストロネシア語族話者の諸民族によって築かれました。インド洋では、モンスーン海流や赤道海流、さらに夏は南西、冬は北東に吹く季節風があり、帆船の航行に適した条件がそろっていました。下図を見てください(図3)。

【大人の教養】アレクサンドロス大王とマラッカ海峡を結ぶ「海の道」とは?出典:地図で学ぶ「深読み」世界史

 オーストロネシア語族系のマレー人の一派は、後1世紀にはカリマンタン島からマダガスカル島へ移住したとされ、中継地の痕跡がないことから、海流や季節風を利用して直接航海したと考えられます。

ギリシア・ローマ世界とマリンロードのつながり

 オーストロネシア語族話者に続いてインド洋進出を図ったのは、ギリシア人でした。もともと商業民族としての気質が強いギリシア人は、アレクサンドロス大王の東征によりギリシア文化圏が拡大(ヘレニズム時代/前334~前30)すると、それまでの商業の中心であった地中海のみならず、紅海貿易やインド洋貿易にも乗り出すようになるのです。

 前4世紀後期にアレクサンドロス大王がバルカン半島からインダス川流域に至る広大な帝国を建設し、その帝国から分立したプトレマイオス朝エジプト(前305~前30)は、紅海を介した沿岸探索を試みており、これは当時のヘレニズム世界で主力兵科となりつつあった戦象(せんぞう)の確保を目的としたものでした。このプトレマイオス朝の探索は、結果としてアフリカ東岸や南インドを結びつけるインド洋航路の基盤をなしたのです。

 前30年にエジプトはローマに征服され、その属州となりますが、インド洋貿易の拠点としての地位は健在でした。後1世紀にエジプトのギリシア商人が記したという『エリュトゥラー海案内記』には、エリュトゥラー海(今日の紅海・ペルシア湾・インド洋を含む海域)に面した諸地域との交通や交易品などが詳細に記されています。下図を見てください(図4)。

【大人の教養】アレクサンドロス大王とマラッカ海峡を結ぶ「海の道」とは?出典:地図で学ぶ「深読み」世界史

 この時期までに、季節風を利用したインド洋貿易が活況を見せ始めていたことが窺えます。

(本原稿は『地図で学ぶ「深読み」世界史』を一部抜粋したものです)