【世界史ミステリー】ホルムズ海峡はなぜ古代から「海の関所」だったのか?
「地図を読み解き、歴史を深読みしよう」
本連載では、海峡・山脈・河川などの地形を手がかりに、世界史を読み直していく。著者は代々木ゼミナールの世界史講師で、「地図の鬼」と呼ばれる伊藤敏氏。オリジナル地図を通じて、ホルムズ海峡やシルクロードなどの歴史的背景を立体的に理解でき、歴史と地理を同時に味わうことができる。本稿は、伊藤氏の近刊『地図で学ぶ「深読み」世界史』を一部抜粋したものだ。
Photo: Adobe Stock
ホルムズ海峡はなぜ古代から「海の関所」だったのか?
ホルムズ海峡(ホルモズ海峡)は、イランとアラビア半島に挟まれたペルシア湾の出入口に位置する、全長約167km、幅約96~39kmの水域です。ペルシア湾岸は世界的な原油の生産地であり、かつ主要な原油輸出港が集中している一帯です。
また、石油の産地からは石油ガスをはじめとする天然ガスも産出され、これら天然ガスは液化(LNGないし液化石油ガスLPG)され輸出に回されるのです。ペルシア湾はこうした石油や天然ガスといった資源に恵まれ、言うまでもなくこれらの地下資源は、世界経済の命運を握っていると言っても過言ではありません。この石油や天然ガスといった地下資源を世界に輸出する際に通過しなければならないのが、ホルムズ海峡というチョークポイントなのです。下図を見てください。
出典:地図で学ぶ「深読み」世界史
もとより国際的な関心が高かったホルムズ海峡ですが、2026年2月28日、アメリカとイスラエルがイランへの攻撃を開始したことで、イラン側は「友好国」を除く国の船舶に対し、ホルムズ海峡の航行を事実上禁止しており、これは同海峡の実質的な封鎖に他なりません。
イランとの戦争開戦とホルムズ海峡の封鎖は、原油や天然ガスの供給を滞らせ、世界経済への影響が危惧されています。実際に、原油価格は1バレルあたり90~120ドルの間で乱高下を続け、G7諸国(フランス、アメリカ、イギリス、ドイツ、日本、イタリア、カナダおよび欧州連合)は各国の石油備蓄の協調放出を模索するなど、対応に追われています。
今日では中東情勢はもとより、世界経済のカギを握るといっても過言ではないホルムズ海峡ですが、この海峡への関心は、近現代に急速に高まったものでは必ずしもありません。
古代ペルシア湾交易の形成
ホルムズ海峡は地理的にも中東とインドをつなぐ中継路に位置し、古代より多くの船舶が往来しました。すでに前2700年頃に古代メソポタミアで最古の文明を築いたシュメール人は、ペルシア湾を介した海上貿易にも従事しており、彼らの記録に「ディルムン」と「メルッハ」と呼ばれる地名が登場します。
ディルムンは現在のバーレーンにほぼ比定され、前4000年紀後期から前800年頃まで中継貿易の拠点として繁栄していたといいます。一方のメルッハは、今日ではインダス文明に比定されています。現在のクウェートでは、前6000年紀中期の海上輸送船が発見されており、古代よりペルシア湾に面した人々が、海上貿易に積極的であったことを窺わせます。
海上貿易の重要拠点だった
ディルムンが衰退すると、代わってアラビアの古代都市ゲラがペルシア湾南部に強い影響力を及ぼすようになります。ゲラはペルシア湾の海上貿易路だけでなく、アラビア半島とメソポタミア(現イラク)・シリア・エジプトを結ぶ陸上貿易路との結節点でもありました。後300年頃になると、アラビア半島東部に成立したラフム朝がペルシア湾に進出します。ラフム朝はアラビア半島北西部のガッサーン朝と対立し、ガッサーン朝は東ローマ帝国の宗主下にありました。下図を見てください。
出典:地図で学ぶ「深読み」世界史
これに対抗するため、ラフム朝は当時の中東の大国サーサーン朝と同盟し、後年にはその実質的な被保護国となります。
(本原稿は『地図で学ぶ「深読み」世界史』を一部抜粋したものです)









