【大人の教養】「スラヴ人って何?」ロシア、ウクライナのルーツが1分でわかる!
「地図を読み解き、歴史を深読みしよう」
人類の歴史は、交易、外交、戦争などの交流を重ねるうちに紡がれてきました。しかし、その移動や交流を、文字だけでイメージするのは困難です。地図を活用すれば、文字や年表だけでは捉えにくい歴史の背景や構造が鮮明に浮かび上がります。
本連載は、政治、経済、貿易、宗教、戦争など、多岐にわたる人類の営みを、地図や図解を用いて解説するものです。地図で世界史を学び直すことで、経済ニュースや国際情勢の理解が深まり、現代社会を読み解く基礎教養も身につきます。著者は代々木ゼミナールの世界史講師の伊藤敏氏。黒板にフリーハンドで描かれる正確無比な地図に魅了される受験生も多い。近刊『地図で学ぶ 世界史「再入門」』の著者でもある。

東ヨーロッパの民族が「1枚の地図」でわかる!
東ヨーロッパと西ヨーロッパの境界は何だかご存じでしょうか?
正解は「エルベ川」です。現代のドイツ東部(旧東ドイツにほぼ相当)を流れるエルベ川は、東西ヨーロッパの境界線としての役割を担い続けてきました。とりわけ中世のヨーロッパ世界、すなわちローマ・カトリック圏にとっては、エルベ川はフロンティアの象徴だったのです。
このエルベ川以東で中心となる諸民族が、スラヴ人と総称される人々です。下図を見てください。

第1次民族大移動(ゲルマン人の大移動)に乗じて、スラヴ人も東ヨーロッパの広い範囲に移住し、大きく3つのグループが形成されます。これらのグループはそれぞれ、東スラヴ人、西スラヴ人、南スラヴ人と呼ばれます。
(1)東スラヴ人
東ヨーロッパ平原の西部を中心に居住し、今日ではロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人がこれに相当します。ロシア人は、第2次民族大移動でやってきた「ルーシ」(ヴァイキングの一派とされますが異説もあり)を支配者に戴き、キエフ・ルーシというロシア国家の源流をなします。
(2)西スラヴ人
スラヴ人の中でも最も西に居住するグループで、その位置からローマ・カトリック圏、なかでも神聖ローマ帝国(中近世のドイツ国家)と接触する機会が多いことから、カトリックを受容します。今日ではチェク(チェコ)人やポーランド人が相当します。
(3)南スラヴ人
バルカン半島に居住したグループで、東ローマ帝国と接触して東方正教が広まった民族や、カトリックに改宗した民族など多様な民族がひしめきます。東方正教を受容したのはセルビア人、カトリックを受容したのがクロアティア人やスロヴェニア人です。
また、15世紀までにバルカン半島一帯がオスマン帝国の支配下に置かれると、イスラーム教に改宗する者も現れ、彼らはボスニア人と呼ばれます。南スラヴ人はいずれも第1次世界大戦後に「ユーゴスラヴィア」という国に組み込まれ、その国名は「南スラヴ人の地」を意味します。
この他、ウラル系のマジャール(ハンガリー)人や、ラテン系のルーマニア人、テュルク系のブルガール人(後にスラヴ人と同化してブルガリア人)など、東ヨーロッパ世界もまた多様な民族や文化に彩られるのです。
(本原稿は『地図で学ぶ 世界史「再入門」』の一部抜粋・編集を行ったものです)