優秀な人ほど、引き止める間もなく去っていく。給料の上乗せを伝えても「もう決めました」と返される――そんな場面に覚えのある人は、少なくないのではないだろうか。なぜ、お金では人を引き止められないのか。その答えを30年以上も前に示していたのが、経営学者ピーター・ドラッカーの『ポスト資本主義社会』であり、本書を読めば、生成AIが知識を一変させる時代に、会社と個人の力関係がどこへ向かうのかが見えてくる。本連載では、膨大なドラッカーの著作を読み返し、その中から令和の現在に役立つ知を取り出して紹介していく。(構成:ダイヤモンド社書籍編集局)

ドラッカー ポスト資本主義

人は、もう引き止められない

 かつて会社は、給与と昇進と安定を握ることで人を引き止めることができた。辞めれば生活が立ちゆかない――その不安こそ、社員を組織につなぎとめる最大の鎖だった。

 ところが、その鎖は急速にゆるんでいる。転職は当たり前になり、副業やフリーランスという逃げ道も増えた。会社が握っていたはずの主導権は、静かに個人の側へ移りつつある。

 ドラッカーは、この力の逆転を一過性の流行ではなく、社会構造そのものの転換として捉えていた。本書が書かれたのは1990年代だが、そこで描かれた会社と個人の関係は、令和のいまこそ生々しい。

生産手段は、持ち歩ける

 お金で引き止められないのには、はっきりした理由がある。本書には、その核心がこう書かれている。

知識労働者も、組織があって初めて働くことができる。この点において彼らは従属的である。しかし彼らは、生産手段すなわち知識を所有する。

――『ポスト資本主義社会』より

 かつての工場労働者は、資本家の機械がなければ一円も稼げなかった。機械という生産手段を握っていたのは、あくまで会社の側だったからだ。

 知識で働く人は違う。生産手段である知識は本人の頭の中にあり、辞めるときにはそれを丸ごと抱えて出ていく。引き止めようと給料を積んでも、相手はいつでも荷物をまとめて立ち去れるのだ。

 だからこそ会社は、もはや一方的に命じる立場にはいない。ドラッカーはこの逆転を、資本が従業員に仕える時代の到来として言い当てた。

忠誠心はお金で買えない

 では、いつでも立ち去れる人材を、組織は何でつなぎとめるのか。本書の答えは明快だ。

これからは、忠誠心を給与によって獲得することはできない。忠誠心は、知識労働者たる従業員に対し、業績と自己実現のための卓越した機会を提供することによってのみ獲得できる。

――『ポスト資本主義社会』より

 給料を上げるのは、最も手軽で、しかし最も効かない引き止め方だ。報酬で釣られた忠誠心は、もっと高い報酬の前であっさり崩れる。組織が差し出せるのは、業績と自己実現の機会のほうなのだ。

 これは働く側の物差しにもなる。給与の額ではなく「ここで自分は何を成し遂げられるか」で職場を測れば、会社との関係を主体的に選び直せるのかもしれない。

AIは生産手段を奪うのか

 ところが、ここにきて雲行きが怪しくなってきた。知識という生産手段を個人の手に与えていた前提が、生成AIによって崩れかけているのだ。

 ドラッカーの時代、知識は個人の頭の中にあって切り離せなかった。だが生成AIは、その知識を外部に取り出し、誰もが瞬時に呼び出せる道具に変えつつある。持ち歩けたはずの武器が、共有の備品に近づいていく。

 とすれば、知識を多く持つこと自体の希少性は薄れ、個人が握っていた主導権も再び揺らぐのかもしれない。これは本書が述べていることではなく、現在から見た筆者の解釈である。

 では、最後まで人に委ねられるものは何か。手がかりは、ドラッカーが組織の本質を語った一節にある。

個々の専門知識はそれだけでは不毛である。結合して、初めて生産的となる。これを可能にすることが組織の機能であり、存在理由であり、役割である。

――『ポスト資本主義社会』より

 バラバラの知識を束ね、それを何のために使うのかという使命を定める。この「結合」の働きは、知識がありふれていくほど、かえって人に委ねられていく。

 知識を集めて意味へと統合し、何のために使うかを決める力こそ、AIが容易には代われない領域なのではないだろうか。本稿でたどれたのは、その逆転の輪郭にすぎない。ドラッカーの生きた時代にはAIは出現していなかったが、変化の全体像は、本書のなかに体系的に描かれている。

 本書が一貫して伝えるのは、主役は資本ではなく人だということである。資本が人に仕えるというドラッカーの予言の真価は、AIが知識をありふれたものに変えていくほど、静かに増していくのかもしれない。

*この記事は、『ポスト資本主義社会』をベースに、独自の視点を入れて書き下ろしたものです。