会社にいいように搾取されている。そう感じている人は少なくないだろう。しかし、あなたが毎月納めている年金が、いつのまにか大企業の株主に姿を変えていることは意識しているだろうか。じつは私たちは、搾取される側であると同時に、所有する側にもなっている。この奇妙な逆説を、ドラッカーは『ポスト資本主義社会』で30年以上前に見抜いていた。本連載では、膨大なドラッカーの著作を読み返し、その中から令和の現在に役立つ知を取り出して紹介していく。(構成:ダイヤモンド社書籍編集局)

ドラッカー ポスト資本主義社会

奇妙な逆説から始めよう

 社会主義とは何か――経済学者カール・マルクスは、ひとつの分かりやすい定義を残した。労働者が生産手段、つまり工場や設備といった「富を生み出す元手」を自分たちで所有する状態のことだ。資本家がそれを独占している資本主義の、ちょうど裏返しである。

 この定義を素直に当てはめると、奇妙なことが起きる。ドラッカーは本書で、こう書いている。

社会主義が従業員による生産手段の所有であるとするならば、アメリカこそ最も社会主義的な国になっている。

――『ポスト資本主義社会』より

 自由競争の象徴のような国が、定義の上では最も社会主義的だという。なんとも食えない皮肉である。搾取されていると思っていた当の私たちが、なぜ所有する側に回っているのか。鍵は、冒頭で触れた、誰もが納めているあのお金にある。

あなたの年金が、巨大株主になっている

 その正体は、年金だ。働く人が毎月納める年金保険料は、まずその時々の年金給付に充てられる。そして給付に回らなかった分が積み立てられ、一部が企業の株式を買う元手として運用されている。

 株式を持つということは、その会社の所有者の一人になるということだ。つまり、働く人たちは知らないうちに、年金という形で企業という生産手段を共同で所有していることになる。ドラッカーが見抜いたのは、この構造だった。本書には、こう記されている。

先進国では、かつての資本家に代わって、ますます年金基金が資本の供給と配分を支配するようになった。

――『ポスト資本主義社会』より

 かつて経済を動かしたのは、ロックフェラーやフォードといった一握りの大資本家だった。だが彼らの時代は終わり、いまや無数の働き手の年金が、束になって最大の株主になっている。ドラッカーはこれを「資本家なき資本主義」と呼んだ。

GPIFという「顔のない資本家」

 この光景は、いまの日本にそのまま現れている。私たちの公的年金を運用するGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)は、運用する資産がおよそ260兆円にのぼる、世界最大級の機関投資家だ。国内外の株式を大量に保有し、名だたる大企業の有力な株主になっている。

 つまり日本人の多くは、自覚のないまま、年金を通じて巨大企業の共同オーナーになっている。私たちは、知らないうちに資本家になってしまったのである。30年前のドラッカーの逆説は、令和の現実として静かに完成していたといえるだろう。

 もっとも、ここに落とし穴がある。私たちは所有者でありながら、その実感をまるで持っていない。実際に株式を動かすのは基金で働く運用の専門家であり、年金の持ち主である私たち自身は、いわば顔のない大株主にとどまっている。所有しているのに、支配はしていないのだ。

では、本当の主役は誰なのか

 所有が誰のものか曖昧になったこの時代に、ドラッカーはさらに踏み込んだ。資本がもはや決定的な力を持たないなら、新しい主役は別にいるはずだ、と。本書がその答えとして挙げたのが「知識」である。

 お金や設備をどれだけ持っているかではなく、知識をどう仕事に活かすか。そこで価値が決まる社会へと、私たちは移っている。資本から知識へというこの大きな転換を、本書は一冊を通して体系的に描いている。だとすれば、AIが知識の扱いに長けてきたいま、問われるのは、自分だけの知識をどこに育てるかということなのかもしれない。

 年金が証明したのは、資本はもう私たち全員のものになり、決め手ではなくなったという事実だ。本当に自分のものと呼べる元手は、頭の中にある知識のほうだろう。資本ではなく、あなた自身が問われている。30年余り前の一冊は、その問いを静かに突きつけてくる。

*この記事は、『ポスト資本主義社会』をベースに、独自の視点を入れて書き下ろしたものです。