「なぜあの人は、あんなに長く会社に残るのか」「なぜ若手は、もう帰るのか」――同じ職場にいても、世代が違うと時間の感覚はこれほど食い違う。だが、その違いを「真面目か、要領がいいか」という気質の差として裁いてしまう前に、ピーター・ドラッカーの『経営者の条件』を手がかりに、それぞれの時間観を生んだ経済の構造から問い直してみよう。本連載では、膨大なドラッカーの著作を読み返し、その中から令和の現在に役立つ知を取り出して紹介していく。(構成:ダイヤモンド社書籍編集局)

ドラッカー 世代ギャップ

「時間の常識」は世代で違う

 働く人の時間の感覚は、世代によって驚くほど違う。長く働くことを有能さの証としてきた世代と、費やした時間あたりの成果、いわゆる「タイパ」を重んじる世代とでは、何を時間の浪費と呼ぶかさえ食い違う

 ここで、どちらの時間観がより有能か、よりまともかと優劣を競わせても消耗するだけだ。時間の読み方は生まれ持った性格ではなく、その世代が身を置いた経済が教えるからである。

 ならば問うべきは、どちらが上かではない。それぞれの時間観を生んだ経済とは何だったのか、である。

ドラッカーも世代を論じた――時間観は経済が決める

 実は、時間観の世代差を早い時期に論じたのはドラッカー自身だった。本書は、第二次世界大戦後のイギリス経済の不振の一因を、ある世代の企業人の働き方に見ている。

 その世代は、肉体労働と同じ感覚で、できるかぎり短い労働時間で済ませようとした。生み出す成果に関わらず長く働かないことを、いわば成熟した働き方として疑わなかったのである。

 ドラッカーは、これを怠惰として責めはしない。彼が問題にしたのは、そうした「できるだけ短く働くべき」という時間観が、変化を避けても許された古い経済にこそ支えられていた、という点だ。だからこそ本書は、その前提をこう突き放す。

そのようなことが可能なのは、企業にしても産業界全体にしても、既存の枠にしがみつき、創造と変革を避けることが許される場合だけである。

――『経営者の条件』より

 つまり彼らの時間観は、気質の問題ではなく、変化のいらない経済とワンセットだった。経済が変われば、必要な時間も変わる。時間が足りないのは個人のせいではないのだ。

時間を奪うのは仕事の構造

 では、経済の変化はなぜ時間を奪うのか。ドラッカーは、個人の資質ではなく、仕事そのものの構造にみる。

 知識労働者の時間不足がむしろ悪化していく理由を、ドラッカーはこう説明する。

このような事態の重大な原因の一つは、高い生活水準というものが創造と変革の経済を前提としているところにある。創造と変革は時間に対して膨大な要求を突きつける。

――『経営者の条件』より

 すでに知っていることをなぞるだけなら、時間は短くて足りる。だが新しい価値を生み出す仕事は、まとまった思考の時間を容赦なく求める。これは世代を問わない。

 この構造で見れば、長時間労働世代の時間観は拡大の経済が、タイパ世代の時間観は情報が溢れ選別こそ価値になった経済が、それぞれ育てたものだと言えるだろう。どちらが上でもなく、出自が違うのだ。

和解は「記録」から始まる

 世代の時間観が、それぞれの経済が生んだものだとすれば、どちらかを正しいと決める意味はない。にもかかわらず、デジタル化と生成AIが変化を加速させる令和の経済もまた、すべての世代に等しくまとまった時間を要求し続けている。

 ではどう折り合うか。本書が示す出発点は意外なほど素朴で、自分の時間を、記憶ではなく記録で知ることだ。

 記録は、世代の信条が生まれるより前にある事実だ。やり方は単純でよい。スマートフォンのカレンダーに、これからの予定ではなく、実際に何に時間を使ったかをその場で書き込み、会議・作業・移動・スマホなどを色で塗り分けていく。一週間後、思っていた配分と見比べれば、長時間労働世代もタイパ世代も、等しく自分の思い込みに気づくだろう。

 このポイントをドラッカーは、その処方が誰にでも開かれていることを告げて締めくくる。

汝自身を知れとの昔からの知恵ある処方は、儚い身の人間にとっては不可能なほどに困難である。しかしその気があるかぎり、汝の時間を知れとの処方には誰でも従うことができる。

――『経営者の条件』より

 自分を知るのは難しくても、自分の時間を知ることはできる。どちらの世代の流儀が正しいかを考え込む前に、まずは自分の数日を、思い出せる範囲で書き出してみるだけでいい。

 そこに映るのは、誰かと比べた優劣ではなく、自分の思い込みだ。会議の多さや細切れの作業時間など、記録から見えてきたものに手を入れていけば、自分の働き方の構造は少しずつ変えられるかもしれない。記録は、その小さな一歩の出発点になるのではないだろうか。

*この記事は、『経営者の条件』をベースに、独自の視点を入れて書き下ろしたものです。