資本主義は崩壊し、革命が起きる――マルクスのこの予言は、なぜ外れたのか。ドラッカーは『ポスト資本主義社会』で、その理由をたった一語で射抜いてみせる。そしてこの答えは、生成AIが知識を解き放ついまこそ、鋭く効いてくる。本連載では、膨大なドラッカーの著作を読み返し、その中から令和の現在に役立つ知を取り出して紹介していく。(構成:ダイヤモンド社書籍編集局)

ドラッカー ポスト資本主義

マルクスの外れた予言の謎

 19世紀後半、思想家カール・マルクスは資本主義の崩壊を予言した。労働者はますます貧しくなり、ついには革命を起こして社会をひっくり返す――。当時はこれが常識だった。左右の立場を問わず、1910年代に至っても、知識人の多くは資本主義に階級闘争は避けられないと見ていたのである。

 ところが、その革命は先進国では起こらなかった。むしろ労働者は豊かになり、社会主義国家のほうが先に崩れ去った。これほど広く信じられた予言が、なぜ外れたのか。冷戦のさなかにその崩壊を見抜いていたドラッカーは、この謎をたった一語で解いてみせる。マルクスの予言を打ち破ったのは、革命ではなく知識だった

 知識が予言を覆す。一見、奇妙な答えに聞こえる。だがドラッカーは、知識が社会を動かす主役へと変わっていった経緯を三つの段階に整理し、この一語の意味を解き明かしていく。

知識が変えた三つの時代

 第一段階は産業革命だ。それまで秘伝として職人に閉じ込められていた技能が、18世紀半ば以降、道具や工程や製品に応用されるようになった。経験が教科書に置き換わり、誰でも学べる知識へと開かれたのである。

 第二段階が生産性革命だ。19世紀末、「科学的管理法」で知られる技師テイラーが、肉体労働そのものを分析の対象にした。彼は熟練という秘密を解体し、誰もが訓練で一流の働き手になれることを証明した。ドラッカーはこの功績を、ダーウィンやフロイトと並ぶ近代の立役者として、マルクスより上に評価する。本書にはこうある。

こうして生産性の伸びのほとんどは、テイラーが予言したように労働者、つまりマルクスのいうプロレタリアの分け前となった。

――『ポスト資本主義社会』より

 貧しくなるはずだった労働者は、むしろ豊かになった。仕事への知識の応用が生産性を爆発的に高め、プロレタリアを中流へと押し上げたのだ。革命の前提そのものが、足元から消えてしまった。

知識が知識に向かうとき

 そして第三段階がマネジメント革命である。第二次世界大戦後、知識はついに知識そのものへと応用されるようになった。既存の知識をどう組み合わせ、どう成果に結びつけるか――それを問うのがマネジメントだ。本書はこの転換の意味を、こう言い切っている。

いまや知識は、土地と資本と労働をさしおいて最大の生産要素となった。

――『ポスト資本主義社会』より

 土地も、お金も、労働力も、もはや脇役にすぎない。それらは知識さえあれば手に入る。知識が資源の中核になったからこそ、私たちの社会はもはや資本主義社会ではなくポスト資本主義社会なのだとドラッカーは語る。マルクスは資本主義の矛盾が革命を生むと見た。だがその矛盾を解いたのは、暴力ではなく知識だったのである。

生成AIが知識を解き放つとき、問われるもの

 三つの段階を貫く一つの動きがある。知識が、閉じた秘密から、誰にでも開かれた共有財へと移ってきたことだ。秘伝は技能になり、技能は方法論になり、やがてマネジメントになった。そして令和のいま、生成AIがこの流れの最先端に立っている。文章を書く、資料をまとめる、コードを書く――かつて知識労働者の専売特許だった作業を、AIが瞬時にこなすようになりつつある。

 ここに、本書が私たちに手渡す視点がある。知識が開かれていくほど、知識を持つこと自体の価値は下がり、何に使うかの価値が上がる。ドラッカーが描いた歴史がそうだったように、AIに知識が開かれた先で問われるのは、所有の量ではなくなるのかもしれない。

 だとすれば、私たちが身構えるべきは「AIに何を奪われるか」ではないだろう。開かれた知識を、何のために、どんな成果へ結びつけるのか。その一点に、これからの一人ひとりの値打ちが懸かっている。マルクスの予言を外したのが知識だったように、私たちの明日を決めるのも、知識をどう使うかという静かな選択の積み重ねなのだろう。

*この記事は、『ポスト資本主義社会』をベースに、独自の視点を入れて書き下ろしたものです。