時間があるはずなのに、何をしても満たされない。ぼんやりとした退屈感から抜け出せない――そんな状態に心当たりがある人は、内側に目を向けてみてほしい。

退屈は「外からの刺激が足りない」せいではない
退屈を感じるとき、多くの人はその原因を外側に求める。
面白いことが何もない、刺激が足りない、やることがない――
そうした言葉で退屈の原因を説明しようとする。
しかし、豊かな想像力を持ち、頭脳の活動力が優れた人は、退屈を感じることがないとされている。
これはつまり、退屈を感じるかどうかは、
外からどれだけの刺激が与えられるかよりも、
内側にどれだけ活動できるものを持っているかによって決まるということだ。
外部の刺激がなければ退屈を感じてしまう状態は、
内面の活動がその空白を埋めきれていないことを示しているのかもしれない。
精神が豊かになるほど、空しさの入り込む余地は減る
ショーペンハウアーはこう語る。
――精神が豊かになるほど、内面に空しさが忍び込む空間は減るからである。
私たちは欲求の欠乏と過剰の、両方を避けねばならない。どちらも極端になれば、不幸になるしかない。欠乏と過剰のバランスを取るべきだ。
精神が豊かになるほど、内面に空しさが忍び込む空間は減っていく――
ショーペンハウアーのこの言葉は、退屈の正体をよく表している。
内面が活動し、思考や想像が豊かに動いている状態では、
空しさや退屈が入り込む余地が少なくなるということだ。
一方で、欲求の欠乏と過剰の両方を避けることも重要だとされている。
何も求めない状態が極端になれば、生きることへの意欲そのものが失われていく。
逆に、欲求が過剰になれば、満たされない苦しみが際限なく続く。
どちらに偏りすぎても不幸になるしかなく、欠乏と過剰のバランスを取ることが大切だという。
「外の刺激」に頼る生き方から、「内面の活動」へ
退屈を感じたとき、すぐにスマートフォンを手に取ったり、
何か新しいコンテンツを探したりしてしまうのは、自然な反応ではある。
しかし、外からの刺激によって退屈を埋めようとする習慣を続けていると、
それがない状態への耐性がどんどん下がっていくことになりかねない。
内面の活動――考えること、想像すること、何かを深く味わうこと――を
少しずつ育てていくことが、退屈に左右されにくい状態をつくっていく。
外から与えられるものに依存するのではなく、
自分の内側で動き続けられるものを持つことが、
長い目で見て、充実した時間の過ごし方につながっていく。
今日から試すなら、退屈を感じたとき、スマートフォンを手に取る前に、少しだけ自分の頭のなかで何かを考えてみることだけでいい。
(本記事は『求めない練習 絶望の哲学者ショーペンハウアーの幸福論』をもとに作成しました)









