世界1200都市を訪れ、1万冊超を読破した“現代の知の巨人”出口治明元APU学長。宮部みゆき氏などから絶賛されている出口氏の『哲学と宗教全史』もとに、哲学と宗教の視点から見る「SNSで見える『幸せ』を信じすぎる人が見落としているもの」とは? ライターの照宮遼子氏がレポートする。(構成/ダイヤモンド社・寺田庸二)
Photo: Adobe Stock
切り取られた人生がまぶしく見える時代
人の暮らしは、外から見るほど整って見える。
SNSを開けば、きれいな部屋、楽しそうな休日、好きな仕事で生きているように見える人たちの姿が流れてくる。
写真の中では、すべてがうまくいっているように見える。悩みも迷いも、画面の外にある。
けれど、見えている一部だけを見続けていると、それがその人の人生の全部のように感じてしまう。
自分の暮らしだけが遅れていて、足りなくて、うまくいっていないようにさえ思える。
画面の外にある迷いや苦しさまで、私たちは本当に見えているのだろうか。
プラトンの「洞窟の比喩」とは?
古代ギリシャの哲学者プラトン(BC427~BC347)は、人間が見ている世界そのものへの疑いを「洞窟の比喩」で表した。
『哲学と宗教全史』(出口治明著)では、次のように紹介されている。
ずっと壁面だけを見て生きてきた人間は、そこに映る影が真実の姿であると考えてしまいます。
しかもその状態でいる限り、自分が誤認していることに気づくこともありません。
――『哲学と宗教全史』より
プラトンは、目に見える世界をそのまま真実だとは考えなかった。
ものごとには変わらない本質があり、その本質を「イデア」と呼んだ。
洞窟の人々が影を本物だと思っていたように、私たちも目の前にあるものを現実そのものだと思い込みやすい。
けれど、その奥には、まだ見えていない本質がある。
見えているものの「奥」へ目を向けると変わる!
プラトンが生きたアテナイは、ペロポネソス戦争(BC431~BC404)に敗れた後、政治の混乱の中にあった。
そんな時代を見つめたプラトンにとって、多くの人が信じるものは、必ずしも真実ではなかったのだろう。
それは現代にも通じる。
人は目に見える結果や、多くの人が選ぶものに寄りかかりたくなる。
けれど、その時代に正しいとされているものが、いつも本質に近いとは限らない。
本書は、哲学や宗教の歴史をたどりながら、人間が何を本物だと思い、何を信じて生きてきたのかを教えてくれる。見えているものだけを信じそうになる時代だからこそ、その奥にある本質を見失わずにいたい。





