それは主義? はたまた事情??「AかBか」という主義が分かれそうなトピックをあらためて考える、人気エッセイストの古賀及子さんによる書き下ろし新刊『暮らしの信じ方』より抜粋・再構成して公開します。(構成/ダイヤモンド社書籍編集局)

暮らしの信じ方Photo: Adobe Stock

前回≫8/8公開、待ち合わせは、余裕を持って、ぎりぎり着きたい【古賀及子さん書き下ろし(1)】

どんな顔をして待てばいいのかがわからない

 先の例は仕事の約束だけれど、遊びの待ち合わせとなるといよいよだ。

 余裕を持つのはもちろんとして、ぎりぎりに着くことについてさらに気合が入る。ばっちり時間どおりに現れるべく、念入りに時間をつぶす。つぶしすぎないように細心の注意もはらう。

 そもそも、待ち合わせのことを、みんなどう思っているのだろう。

 得意だ、好きだという人はいるでしょうか。どちらでもない派が多勢だろうか。

 実は、多くの人が苦手だと思っているのではないか。先に到着して待つとして、どんな顔をして待てばいいのかがわからない。

 スマホを眺めながらしれっとするとぼけ方が、私はどうにも下手くそだ。逆ぎれのように、オーバーに探すそぶりできょろきょろする不器用な態度をとることが多い。

 こういうときに、私は生きる力に拙いと実感する。

 待つのが、下手という意味で苦手だし、待たせたくもないし、となると、ぎりぎりぴったりに到着するしか、もはやほとんど手立てがない。

ぎりぎりへの希望があふれすぎて遅刻した

 ひとつ大きな注意点がある。

 余裕を持ってぎりぎり着きたいというこの気分は、余裕とぎりぎりという二つの逆の願いが拮抗している。うっかりぼんやりすると、ぎりぎりの方が勝ってしまうことがある。

 実際、ぎりぎりへの希望があふれすぎて遅刻したことが二度、あった。経験上、出張中があぶない。

 近頃は出張の際は、ぎりぎりへのロマンを捨て余裕を持つことだけに専念しようと律している。