SNSを開くたびに、誰かの成功や充実した日常が目に入る。比べたくないのに、気づけば比べてしまっている――その苦しみから抜け出す鍵を、ショーペンハウアーの哲学が示している。書籍『求めない練習 絶望の哲学者ショーペンハウアーの幸福論』をもとに解説する。

比べてしまう人と、比べない人の間にある「たった一つの違い」
他人と自分を比べてしまう人と、比べない人の間には、
能力の差でも、環境の差でも、運の差でもない、
たった一つの根本的な違いがある。
それは、「価値の基準をどこに置いているか」だ。
比べてしまう人は、価値の基準を他人に置いている。
自分がどれだけ成長したかではなく、あの人より上か下かで自分を評価する。
あの人が昇進すれば自分が遅れているように感じ、
あの人が家を買えば自分が劣っているように感じる。
評価の基準が常に他人の手の中にあるため、
他人の動きに連動して、自分の幸福が揺れ続ける。
一方、比べない人は、価値の基準を自分の内側に置いている。
ショーペンハウアーはこう述べている――
価値の基準を他人ではなく、自分に求めるべきだ、と。
この一点が、比べる人と比べない人を分ける、決定的な違いだ。
比較という行為が、なぜ苦しみを生み続けるのか
新しいものへの欲望は、変化しない本質よりも華やかな見かけに騙される人間の性質を示すものだとされている。
他者の生活や成功が輝いて見えるのは、
その人の現実をすべて見ているのではなく、
表面に見えている部分だけを切り取って見ているからだ。
さらに、欲望には独特の構造がある。
羨ましいと思っていたものを手に入れたとしても、
満足感を覚えていられる時間は思っているより短い。
いざ満たされると、その対象に対して無関心になったり、
どうでもよくなったりすることが多いからだ。
比較によって生まれた欲望を満たしても、
すぐに次の比較対象が現れ、また新しい不足感が生まれる。
このループを続ける限り、比較による苦しみは終わらない。
SNSが比較を止められなくさせる理由
現代において比較が止められない最大の原因の一つが、SNSだ。
タイムラインには、誰かの成功、誰かの幸せな家族、誰かの充実した休日が流れ続ける。
しかしそこに映っているのは、その人の人生の一部を切り取ったものに過ぎない。
苦しみ、悩み、失敗は映っていない。
多くの人に会えば会うほど、望みと欲求が増大し、
その分、自ら不幸を招く機会も増えるとされている。
SNSを開くたびに「会っている」人の数は増え続け、
それに比例して比較の材料も増え続ける。
比べたくないのに比べてしまうのは、意志が弱いからではなく、
比較の材料が際限なく供給され続ける環境に置かれているからでもある。
人格は、他人に決められるものではない
比較の苦しみから抜け出すために、ショーペンハウアーが示した視点がある。
人格とは、財産のように与えたり奪ったりすることはできないし、
評判のように他人によって決定されるものでもなく、
本来の自分が所有しているものだとされている。
それは生涯にわたってその人についてまわり、
手放すことのできない人間の本質だ。
外部のものは運命によって変えることができるが、人格は決して変わることがない。
あの人が何を持っているか、あの人がどう評価されているかは、
自分の人格の価値とはまったく関係がない。
比べることに意味がないのは、比較の対象がそもそも違うからだ。
他人が持っているものと、自分が持っているものは、
同じ尺度で測れるものではない。
比べない人が代わりにしていること
比べない人がしているのは、自分の個性を最大限に有利に活用し、
自分の人格に合った方向に努力を傾けることだ。
自分が何を真に望んでいるかについての認識と関心を持ち続けること――
これが、他者との比較を自然と手放していくための、根本的な習慣だ。
他人の成功を見て「あの人はいいな」と思う瞬間を、
「では自分は何がしたいのか」という問いに変換できるようになったとき、
比較の苦しみは少しずつ薄れていく。
他者の人生ではなく、自分の人生に意識が向いているからだ。
価値の基準を自分の内側に置くという、たった一つの転換が、
比べることをやめられない苦しみからの、最も確かな出口になる。
今日から試すなら、誰かと自分を比べたくなったとき、「では自分は本当に何がしたいのか」を一度だけ問い直してみることだけでいい。




