会社を辞め、家を売り、無線機も持たずに航海に出た夫婦。自作した船でイギリスからニュージーランドに向かったが、ガラパゴス沖で突如クジラに襲撃され海に投げ出された。山口周氏が「決して寝る前に読み始めないこと。一度ページをめくってしまうと止めるのは不可能です。」と絶賛している全米ベストセラー『極限の漂流118日間』から、「死の直前に思い出す奇跡」についてライターの小川晶子氏が特別レポートする。(構成/ダイヤモンド社・寺田庸二)

【まるで時間が止まったよう】死の直前に思い出す「奇跡」とは?Photo: Adobe Stock

ヒキガエルと見つめ合う

 子どもの頃、家の前に突如あらわれた巨大なヒキガエルと見つめ合ったことがある。
 ヒキガエルはじっとしていた。私も動くことができずに、ヒキガエルをじっと見た。
 カエルも私を見ている。
 見つめ合う瞬間というのは不思議で、時間が止まっているような感覚になる。

 相手がもっともっと大きな生き物だったら、どんなだろう。

悲劇を引き起こしたクジラ

「小説のような最高のノンフィクションだ。ページをめくる手が止まらない!」と評されている『極限の漂流118日間』(ソフィー・エルムハースト著/村井章子訳)は、イギリス人夫婦のモーリスとマラリンが太平洋でマッコウクジラと出会うシーンから始まる。

 巨大なクジラが船の近くを泳いでいて、暴れるたびに巨体から滝のように海水が流れ落ち、3メートルはありそうな尾ひれが激しく海面を叩く。

 クジラはケガをしていた。
 苦しみにのたうちまわるクジラが船にぶつかり、船に穴が空いてしまったことで悲劇が始まる。
 ふたりは船を失い、救命ラフトとゴムボートで漂流することになったのだ。
 あっというまに食料は尽き、飲み水もなくなる。海の揺れをダイレクトに受け、なすすべもなく未来が見えない恐怖……

 これほど過酷な漂流の引き金がクジラだったのであれば、その後クジラ恐怖症になってもおかしくない気がする。
 しかしふたりにとってクジラは奇跡の象徴となった。

クジラとの静かな時間

 漂流中、ふたりのすぐ近くにクジラがあらわれ、じっと見ていたことがあった。
 小さなラフトに体当たりでもされればひとたまりもない。恐怖に身がすくみそうだ。
 しかしモーリスは不思議なほど落ち着いていた。自分たちにできることは何もないとわかっていたから。

 クジラも、ふたりの人間もただ黙って静かにお互いを見ていた。
 とても印象的なシーンだ。永遠のような、一瞬のような、不思議な時間が流れる。

死の直前にありありと思い出す奇跡

 118日間にもわたる過酷なサバイバルを経てふたりは奇跡の生還をとげた。
 晩年、モーリスが映像作家のアルバロから取材を受けていたとき、モーリスは唐突にクジラについて語り始めた。

「救命ラフトの上に座っているときにクジラが間近まで寄ってきた、あの光景、あのときの空気を想像できるだろうか。あのおとなしい大きな生き物がすぐ隣にいて、何も危ないことをせず、ただ私たちを見ていた。あれは私たちに与えられた素晴らしい贈り物だった。クジラはじっとしていた。とても長い間……20分、あるいは30分ほども。(中略)
奇跡だったよ、あんなものを見られたなんて」

──『極限の漂流118日間』より

 この取材は亡くなる直前のことだというから漂流から40年以上経っている。
 それでも、ありありとクジラの様子が目に浮かぶのだろう。モーリスは時空を超え、「あの光景、あのときの空気」を体感したようだ。表情が変わり、目に涙が光る。

 お互いをじっと見ていたとき、モーリスとクジラは自然の脅威の中で生きるもの同士だったのだろう。お互いの存在を通して、同じように生きている自分の存在を実感していたのかもしれない。
 クジラとの邂逅は奇跡だが、自分がここに存在していること自体も奇跡なのである。

 本書の表紙には、美しい一頭のクジラ(マッコウクジラ)が描かれている。ぜひクジラにも思いを馳せながら、ハラハラドキドキの冒険譚を楽しんでほしい。