会社を辞め、家を売り、無線機も持たずに航海に出た夫婦。自作した船でイギリスからニュージーランドに向かったが、ガラパゴス沖で突如クジラに襲撃され海に投げ出された。事実は小説より奇なり。118日間、生死をさまよう最上級のスリルと人生模様を堪能できる全米ベストセラー『極限の漂流118日間』から、「漂流の中でも最上級の恐怖」についてライターの小川晶子氏が特別レポートする。(構成/ダイヤモンド社・寺田庸二)
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ワクワクする「漂流もの」の魅力
漂流。
どことなくロマンを感じる言葉である。
小学生の頃、ジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』やダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー(ロビンソン漂流記)』が大好きだった。
どちらも予期せぬアクシデントにより無人島に漂着し、知恵と勇気で困難を乗り越えながら生き延びる冒険物語だ。
その後『ジョン万次郎漂流記』(井伏鱒二)が好きになった。
江戸時代末期から明治にかけて活躍した中浜万次郎が、少年の頃に無人島に漂着し、アメリカの船に救出されるというノンフィクションに近い作品である。
こうして見ると、「漂流もの」とでも言うべきジャンルがあるのだろうという気がしてくる。
どうやら私たちは、海に流され、運命に翻弄されながらも知恵と勇気で生き延びる話が好きなのだ。
最上級の恐怖を描く「漂流もの」にはランクがある
探検家・ノンフィクション作家の角幡唯介さんは、「漂流もの」が好きな編集者に提案され、漂流について調べ、取材したそうだ。
そして書いたのが『漂流』(新潮文庫)である。
この本を読んでいて、私は「漂流もの」の中にも“漂流のランク”があることに気づいた。
私がかつて読んでいたのは無人島に漂着している話であり、漂流そのものの恐怖より無人島でのサバイバルに軸足が置かれていた。
一方で、海での漂流そのものを描いている作品もある。
海での漂流も、本船で漂流するのか、救命ラフトやゴムボートで漂流するのかで緊迫感が全然違う。
本船が沈んでしまえば、救命ラフト等で脱出するしかないわけだが、なにしろ狭い。薄い。穴が開いたら終わりだ。嵐が来れば転覆もしやすい。
漂流の中でも最上級の恐怖を味わうことになる。
漂流の本当の恐ろしさとは?
『極限の漂流118日間』(ソフィー・エルムハースト著/村井章子訳)は、最上級の恐怖を味わえるノンフィクションの「漂流もの」である。
イギリス人夫婦の船がクジラにぶつかって沈み、救命ラフトと手漕ぎゴムボートで脱出する。
薄い布一枚の下は海だ。その状態でたったふたり、118日間も漂流したのである。
私はこの本を読みながら震えた。
何度も、自分が海の上を漂っているような気分になった。あまりにも過酷だ。だが、ふたりは希望を捨てず、サバイバルするのである。
本書の「解説」に角幡唯介さんが書いている。
でもそれよりおそろしいのは漂流が漂流たる所以、つまり運命が状況に完全に支配されていることだろう。
──『極限の漂流118日間』より
地面に足がついていれば、少しでも安全な場所を目指して進むなど、自分で行動を起こすことができる。
しかし、漂流ではそれができない。
それこそが漂流の本当の恐ろしさだ。
『極限の漂流118日間』のふたりは、この恐ろしさの中でどうやって生き延びたのか。ぜひ読んで味わってほしい。








