期初に配られた数字の一覧を眺めながら、どこか他人事のような気分になったことはないだろうか。会社が掲げる数字と現場の実感がずれるとき、多くの人はその原因を上層部の無理解か現場の怠慢に求める。だがピーター・F・ドラッカーは、原因を人ではなく「順序」に置いた。53年前に書かれた『マネジメント――課題、責任、実践』[上][中][下]を手がかりに、なぜ会社の数字が現場の実感とずれるのかを問い直してみよう。本連載では、膨大なドラッカーの著作を読み返し、その中から令和の現在に役立つ知を取り出して紹介していく。(構成:ダイヤモンド社書籍編集局)

ドラッカー 指標をどこに置くか

その一覧に、自分の苦労がない

 数字そのものは間違っていない。ただ、自分たちが日々苦労している部分が、その一覧のどこにも見当たらない。

 こうしたずれの原因は、たいてい人に求められる。現場を知らない上層部が悪いのだ、いや数字に無関心な現場が悪いのだ、と。だがドラッカーは、原因を人ではなく「順序」に置いた。

 その議論が置かれているのが、『マネジメント――課題、責任、実践』[中]の第39章「管理手段」である。ここで扱うのは、指標をいくつ置くか、どこまで広げるかという話ではない。何を測るかを、何から決めるのかという話である。

測ると決めた瞬間の変化

 本書には、データをとるという行為は、人間の組織においては客観的にも中立的にもなりえないと書かれている。測るという行為そのものが、測られる側と測る側の両方を変えてしまうからだ。

 ドラッカーが挙げるのは予算制度の例である。予算が管理の対象になると、成果をあげることよりも予算を使い切ることのほうが重んじられ、予算を守るために売上を抑える部門さえ現れる。

 これを測る、と決めた瞬間から、組織はそれを重要なものとして扱い始める。だからこそドラッカーは、測る対象は戦略から導かれなければならないと繰り返す。

瑣末なことについてデータをとってはならない。重要でないことについてデータをとることは、本当のマネジメントを放棄することを意味する。

――『マネジメント――課題、責任、実践』[中]より

 2026年3月期の有価証券報告書から、人的資本に関する開示が拡充された。経営戦略と関連づけた人材戦略を示すことが求められており、順序を先に置いた制度設計だといえる。

 ただし、新たに加わった定量項目は『平均年間給与の対前年度増減率』――やはり平均だった。全社の平均が上がっていても、どこか一つの部門だけが下がっていることはありうる。制度が順序を整えても、測り方が事象の構造を映さなければ、次に述べる落とし穴はそのまま残るのではないだろうか。

平均値が隠していたもの

 本書には、その順序を誤った企業の実例が記されている。ある企業では、従業員からの苦情が「1カ月に1000人当たり5件」という数字で報告されていた。

 この数字は、いかにももっともらしい。1000人でわずか5件なら、深刻な問題は起きていないように見える。だがドラッカーは、そのもっともらしさこそが危ういと指摘する。

このデータは、苦情があらゆる部門に同じように分布しているかのごとき印象を与える。加えて、ひと月につき1000人当たり5件では、たいした問題ではないという印象を与える。

――『マネジメント――課題、責任、実践』[中]より

 苦情は社会現象であり、自然現象のようにきれいには散らばらない。この企業では、従業員の大半を占める部門から1年間で1件の苦情も出ていない一方、ある小さな部門に苦情が集中していた。

 しかもその部門は、工場の全製品が必ず通る最終組み立ての部門だった。平均値に隠れて軽視された苦情はやがてストライキとなり、この企業は実際に倒産した

 この企業がつまずいたのは、苦情を測ったからではないだろう。何を測るかを、事業の構造ではなく、報告のしやすさから決めてしまったのではないか。順序が、逆だった。

 平均は、集中を隠す。そして隠された集中こそ、現場の人間が毎日肌で感じているものである。

 この構造は、苦情データに限った話ではない。全社平均の残業時間は減っているのに、特定の部署だけは悪化している。全社の顧客満足度は横ばいでも、ある店舗だけが急落している。会社の数字と現場の実感がずれるのは、感覚が鈍いからでも数字が嘘だからでもなく、その数字が事象の構造を映していないからではないだろうか。

10代の娘に説明できるか

 本書がもう一つ挙げる条件が、単純性である。かつてあらゆる大銀行がデータ管理の仕組みを開発したが、使いこなせたのは1行だけだった。

 その銀行の担当役員は、新しい仕組みの骨格が固まるたびに、銀行のことを何も知らない10代の娘2人に説明し、次に彼女たちに説明させたという。娘が説明できて初めて導入する。それが彼の基準だった。

 複雑な仕組みは、いつのまにか目的から関心を奪う。何のために測るのかではなく、どう測るのかへ注意が移ってしまうからだ。説明できない指標は、使われる前にすでに機能していない。

 そしてドラッカーが章の終盤、7つの条件を締めくくる位置に置いたのが、支配のための管理と、仕事のための管理の混同という問題だった。

これらの原因は、ひとえに支配のための管理と仕事のための管理が混同されていることにある。後者の意味、すなわち自己管理のためのものでないかぎり、せっかくの管理もすべて、人を間違った行動へ仕向けるものと見なければならない。

――『マネジメント――課題、責任、実践』[中]より

 指標が現場の実感とずれるとき、責められるべきは、その数字をつくった担当者でも、達成できない現場でもないのだろう。ずれているのは人ではなく、測る対象を決める順序のほうである。

 特効薬はない。何を測るかを決める前に、われわれの事業は何かという問いへ戻る。その地味な作業を積み重ねるほかに、道はないのだろう。『マネジメント――課題、責任、実践』は、事業とは何かを問う上巻、日々の方法を説く中巻、そしてトップマネジメントと戦略を説く下巻からなる。今回取り上げた「順序」の問題は、中巻の一章にすぎない。