「人こそ最大の資産」という多くの日本企業が掲げてきた信条が、いま静かに揺らいでいる。背景はさまざまに考えられるが、生成AIが仕事の未来像を変え、働き方も多様になり、会社と個人の関係も変わってきたからというのも主たる理由だ。とはいえ、そもそも資産だと言いながら、実際には人をコストとして扱ってはこなかったか――この問いを発し、AIの時代に人の力をどう生かすべきかを考えるのに、大きなヒントをくれるのが、ピーター・ドラッカーの代表作『マネジメント エッセンシャル版――基本と原則』だ。本連載では、膨大なドラッカーの著作を読み返し、その中から令和の現在に役立つ知を取り出して紹介していく。(構成:ダイヤモンド社書籍編集局)

AI時代に揺らぐ人の価値
自分の仕事は、AIに奪われるのではないか――。生成AIが文章も分析もこなすようになり、そんな不安を胸の奥に抱える人は多いだろう。リモートワークや副業が広がり、会社との距離感も人それぞれになった。働き方そのものが大きく流動化するなか、いま静かに揺らいでいる言葉がある。
「人こそ最大の資産」という、多くの日本企業が掲げてきた信条だ。景気が傾けば人はコストとして削られ、AIが広がれば「人の代わり」が語られる。資産だと言いながら、本当は人を費用や問題として扱ってきたのではないか。
本書を手がかりに、この問いを考えてみたい。AIの時代にこそ、人の価値をどう生かすべきか。その答えを、ドラッカーとともに問い直してみよう。
人は強みゆえに雇われる
ドラッカーは、人を雇う理由をはっきりと語る。人は弱く、問題を起こし、手間もかかる。費用でもあり、ときに脅威ですらある。
だが、人はそうした弱さのために雇われるのではない。人が雇われるのは強みのためであり、組織の役割は、その強みを成果へと変えることにある。ドラッカーは次のように述べる。
人が雇われるのは、強みのゆえであり能力のゆえである。組織の目的は、人の強みを生産に結びつけ、人の弱みを中和することにある。
――『マネジメント エッセンシャル版』
人を資産と呼ぶとき、それはただ大切に扱うべき貴重な存在という意味ではない。強みを成果に結びつける具体的な仕組みのことだ。本書には、あらゆる資源のうち人がもっとも活用されていない、とも書かれている。眠ったままの最大の資源、それが人というのである。
権限と権力を取り違える罠
ではなぜ、多くの企業は「人は資産だ」と言いながら、現実には人を生かしきれないのか。ドラッカーは、その第一の原因を「権限と権力の取り違え」に見る。
人に責任を任せようとすると、マネジメントは自分の権限を奪われると感じて身構える。だが、それは思い違いだ。責任を任せることは権限を手放すことではない。むしろ部下に責任を引き受けてもらうほど、マネジメントとしての組織統制力はかえって強固なものになる。ドラッカーはこう述べる。
権限と権力とは異なる。マネジメントはもともと権力を持たない。責任を持つだけである。その責任を果たすために権限を必要とし、現実に権限を持つ。
――『マネジメント エッセンシャル版』
任せたら自分の出番がなくなると恐れ、結局すべてを抱え込んで、部署がかえって回らなくなる――そんな管理職は珍しくない。決定の権限を現場へ下ろす「分権化」も、かつてはトップを弱めると恐れられた。ところが実際には、現場が責任を担うことでトップは本来の仕事に集中でき、その力はむしろ増したという。人を資産として生かすとは、優しさのことではない。権限ではなく責任を組織することなのだ。
もっとも、責任はただ任せれば回るものではない。本書は、責任を支える土台として三つを挙げる。①生産的に組み立てられた仕事、②自分の成果が見えるフィードバック、③学び続ける機会、である。この土台があってはじめて、人は自ら高い目標を掲げ、それを超える成果を出していく。
AIに責任は委ねられない
ここで冒頭の不安に戻ろう。AIが分析や情報処理を肩代わりするほど、人を「コストの代わり」として見る誘惑は、これまで以上に強まるかもしれない。
だが、人を費用と見るか、それとも資産として生かすか――この分かれ道はAIが生んだものではない。本書によれば、それははるか昔から組織につきまとってきた古い問いだ。AIはこの問いを新しく突きつけるのではなく、もう逃げられないものにするだけなのかもしれない。作業の中身がAIへ移るほど、強みを発揮し、責任を引き受け、信頼で結ばれて働くという人の領域が、相対的に重みを増していくからだ。
「人は最大の資産」を本物にできるかどうかは、AIではなく組織と私たち自身に委ねられている。それは華々しい万能薬ではない。人を費用や脅威としてではなく、強みを持つ一人の存在として生かす――その地道な選択の積み重ねが、マネジメントを人事管理から真のリーダーシップへと静かに押し上げていく。ドラッカーが本書で説いたのは、そういう人の生かし方だった。






