「わが社は何のためにあるのか」を語れと言われる一方で、月末になれば数字に詰められる。立派な理念と、目の前の現実。この二つに引き裂かれる感覚に、覚えのある人は多いはずだ。だが、その引き裂かれをどう乗り越えるかという問いに、70年前にすでに答えていた経営学者がいる。『現代の経営』を読み解けば、パーパスと利益をめぐる悩みが、まったく別の景色に見えてくる。本連載では、膨大なドラッカーの著作を読み返し、その中から令和の現在に役立つ知を取り出して紹介していく。(構成:ダイヤモンド社書籍編集局)

ドラッカー パーパス

「パーパス」と数字の板挟み

「わが社の存在意義は何か」。近ごろ、そう問いかける研修やワークショップに駆り出された人も多いだろう。パーパス、すなわち会社が何のために存在するのかを言葉にし、社員一人ひとりが自分ごととして語ることが求められる。

 ところが、その研修から自分の席へ戻れば、待っているのは未達の数字と、その詰めである。きれいな言葉と、生々しい現実が、別々の場所で動いている。さっきまで語っていた理想と、目の前の現実。その落差に、どこか白けた気持ちを抱いた経験はないだろうか。

 しかも、この「パーパス」という言葉自体が、ごく新しい。ある調査によれば、東証プライム上場企業のうちパーパスを掲げる企業は、2022年の約5%から翌2023年には約9%へと、わずか1年で倍増したという。ここ数年で一気に広まった言葉なのだ。

 だからこそ、戸惑いも大きい。この板挟みは、突き詰めれば「結局、会社は利益か、それともパーパスか」という問いに行き着く。両方が大事だとは誰もが言う。しかし、いざ数字が苦しくなれば、理念は真っ先に脇へ追いやられる。きれいごとは、しょせんきれいごとなのか――。

 ここで、その問いに正面から答えた一冊を開きたい。ピーター・ドラッカー。「マネジメント」という考え方をほぼ独力でつくりあげた、20世紀最大の経営思想家である。

70年前に書かれていた答え

 いま見たように、存在意義を経営の軸に据えよという流れ自体が、きわめて新しい。ところがドラッカーは、本書を1954年に書いている。いまから70年も前だ。しかも本書には、こう記されている。

本書は、本書の出版当時(1954年)には、言葉さえほとんどなかった「企業の社会的責任」について論じた。

――『現代の経営』より

「企業の社会的責任」という言葉さえ存在しなかった時代に、それを最初に論じたのがドラッカーだった。いま私たちが新しいと感じている問いの原型は、すでに70年前に描き出されていたのだ。

 そのドラッカーが、企業をどう捉えたか。本書は、企業を一つの顔だけで語ることを退ける。顧客のために成果を生む「経済的な機関」であると同時に、人を雇い育てる「社会的な機関」であり、社会に根ざすがゆえに公益を担う「公的な機関」でもある。一つの企業が、同じ一つの活動を通じて、この三つを同時に背負う。

利益は目的ではない

 では、社会的な顔を持つのだから、利益は控えめでよいのか。ここでドラッカーは、意外なほど厳しい。彼はむしろ、経済的な成果こそ企業を企業たらしめる決定的な原理だと、断固として言い切る。

 本書は、軍の参謀本部を例に引く。参謀本部が軍事的な安全を何より優先するように、企業のマネジメントは経済的な成果を第一に考えるべきだ、と。そして、どれほど立派な理念を掲げても、経済的な成果をあげられなければ、それは失敗なのだと突き放す。

企業の活動には、従業員の幸福、コミュニティの福祉、文化への貢献などの非経済的な成果がある。しかし経済的な成果をあげられなければ、マネジメントは失敗である。

――『現代の経営』より

 一見すると、社会性よりも利益を優先せよと言っているように読める。だが、ここに本書のいちばん深いところがある。ドラッカーは利益を「目的」とは呼んでいない。利益は、企業が社会的な役割を果たし続けるために欠かせない「条件」なのだ。

 人にとっての呼吸に似ている。呼吸は生きる目的ではない。だが、それなしには生きられない。利益も同じだ。利益は何のためかと問えば、企業が社会に貢献し続けるためであり、その貢献のためにこそ利益が要る。

そもそも引き裂かれてはいないものだった

 ここまで来ると、冒頭の「板挟み」が、まったく違って見えてくる。

 私たちが理念と数字に苦しむのは、パーパスと利益を、天秤の左右に載せて比べているからだ。どちらを取るか、と。だがドラッカーは、そもそも両者を別々の皿に載せていない。企業という存在の定義そのものの中に、利益と社会性を一体のものとして組み込んだのである。

 社会的な役割を果たすために利益が要り、利益をあげ続けるために社会から必要とされる役割が要る。二つは対立する選択肢ではなく、互いを支え合う一つの円環だ。対立に見えるのは、切り離して並べたときだけなのである。

 パーパス経営は、目新しい流行のように語られる。だが本書を読むと、それは企業という存在の本質に立ち返る試みにすぎないと気づかされる。理念と現実に引き裂かれそうになったとき、その裂け目はもともと無かったのだと、70年前のこの一冊が静かに教えてくれるだろう。

*この記事は、『現代の経営』をベースに、独自の視点を入れて書き下ろしたものです。