公開1か月で興行収入100億円を突破した『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』。ゲスト声優や派手な宣伝に頼らず、なぜこれほど多くの人を惹きつけ、SNSで「考察ラッシュ」を巻き起こしているのか。その秘密は、あえて説明しすぎず、観客自身に「言語化させる」巧みな仕掛けにあった。本稿は、話題の書籍『「うまく言葉にできない」がなくなる言語化大全』の著者・山口拓朗氏が、本作の異例のヒットを「言語化」の視点から読み解いた書き下ろしです。

興収100億円『映画ちいかわ』はなぜ語りたくなる? 言語化の専門家が読み解くヒットの理由Photo: Adobe Stock

派手な宣伝もなく、1か月で興行収入100億円突破!

『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』の勢いが止まりません。公開1か月で興行収入100億円を突破しました。ゲスト声優ゼロ、宣伝イベントやテレビ露出に頼らない。
それでもこの規模のヒットになった理由を、もはや「原作人気」や「かわいさ」だけで片づけるわけにはいきません。

SNSを見れば、人気の一端が見えてきます。評論家から著名人、一般の観客まで、こぞって感想や考察を投稿しています。子ども向けに見えるこの作品が、なぜここまで「語りたくなる」映画になっているのか。それは、この映画が、観客に「言語化させる」ように作られているからです。

昨今のヒット映画の多くは、わかりやすいセリフやモノローグで、観客の置いてきぼりにしないよう工夫が凝らされています。中には、明らかに説明過剰な作品もあります。その対極にあるのが『映画ちいかわ』です。作者のナガノ氏は、唯一絶対の解釈を観客に与えません。寓話や神話的な構造を随所に取り入れているのも、その表れでしょう。

あえて語らない映画①:セリフが少ない

登場人物の中には、ほとんど言葉を話さないキャラクターもいます。「あわ……」「ワァ!」「えぇ~?」。スクリーンからは感嘆詞が頻繁に聞こえてきます。それでも観客はストーリーに引き込まれ、泣き、笑い、ゾッとします。

言語情報が削ぎ落とされているため、観客は、言葉を話すキャラクターの表情やジェスチャー、前後の文脈、間(ま)などから「これはきっとこういう感情(状況)だ」と主体的に解釈せざるを得なくなります。映像表現である映画の長所を存分に活かしつつ、キャラクターの代わりに観客自身が言語化を担う構造です。

言語化を委ねられた観客は、面倒に感じるどころか「なんとかして意味をつかみたい」という知的好奇心をかき立てられるのです。知らず知らずのうちに観客は「受動的鑑賞」から「能動的鑑賞」へとシフトさせられているのです。

あえて語らない映画②:「なぜ?」が多い

『映画ちいかわ』を鑑賞中、終始「違和感」に付きまとわれます。場面の意味やキャラクターの心情や行動理由を説明しすぎてしまうと、観客がみずから考えて言語化する余地を奪ってしまいます。おそらく、制作陣が注力したのは、「何を足すか」より「何を削るか」だったのでしょう。

情報が足りないと、脳は自然と「どうしてだろう?」という問いを立てます。このとき働くのが「網様体賦活系(RAS)」という脳のシステムです。立てた「問い」がアンテナとなり、脳は答えを探すモードに切り替わります。その結果、上映中はもちろん、上映後も、脳が積極的に答えを考えたり、答え探しに行ったりします。

「あのシーン、こういう意味なのでは?」「◯◯は悪者だったの?」「どうして◯◯は、あんなことをしたのか?」――映画館を出たあとに家族や友人と語り合った人も少なくないはず。この「語り合いたくなる余白」を用意している点が本作の特徴と言えます。理解は一人で完結せず、誰かと言葉を交わして初めて深まる仕組みです。まさしく「言語化させる」作品です。

あえて語らない映画③:セイレーンの「歌」

この「観客に言語化させる戦略」は、セリフや場面の省略にとどまりません。象徴的なのがセイレーンです。彼女は言葉ではなく、歌で登場人物の心を支配します。

旋律や歌声、歌詞に、さまざまな意味が込められている、とSNSでも考察ラッシュとなっています。これは「言葉より前に、感情がまず動く」というコミュニケーションの原型であり、感情が動くことによって深層の深いところに届く、という役割も担っています。『映画ちいかわ』の怖さは、わかりやすい怖さではなく、深層に忍び寄るような怖さなのです。

もしセイレーンが自分の気持ちを饒舌に語っていたなら、この映画の怖さは半減していたことでしょう。言葉より先に感情を動かし、意味は後から考えさせる。この「歌」の演出も、本作全体を貫く「あえて語らない戦略」の縮図と言えるでしょう。

あえて語らない映画④:SNS考察ブーム

説明を省くことによって生まれた余白は、SNSとの相性が抜群です。事実、SNS上では、テーマやキャラクター、ストーリーについて、あらゆる角度から考察が飛び交っています。抽象度の高い作品というのは、逆に言うと、そこに膨大な情報が圧縮されているということです。作品が言語化しないからこそ、観客は作品、あるいは自分の内面に降りて言葉を見つけようとするのです。『映画ちいかわ』は、人間の言語化欲求を刺激する作品とも言えます。

もちろん、説明を極力押さえるタイプの作品は「諸刃の剣」でもあります。難易度を上げすぎれば、観客は言語化を面倒がって離脱する。『映画ちいかわ』の巧みさは、そのさじ加減にあります。

子どもも熱狂する、愛らしいキャラクターが登場するこの作品を前に、大人が「意味がわからなかった」とは言いづらい。このプライドの機微まで見透かしたような作品設計がされているのです。

まとめ:「語らない」は、最も高度な語り方である

わかりやすさやタイパが正義とされる時代に、『映画ちいかわ』は、あえて不親切な設計を選び、圧倒的に支持されています。人は自分の頭で意味を理解したときに、脳の報酬系が刺激されます。多くの観客が、『映画ちいかわ』について自分の頭で考えたり、言語化したり、人と議論したりしているのもそのためです。それは、スマホで得られるインスタントな情報獲得とは対極にあるものです。

「観客に言語化させる」本作は、裏を返せば、作者が、観客の考える力や知性、感性を信じている証と言えるかもしれません。

自分で考えることを放棄し、検索に逃げるのは無粋です。どんな言語化も間違いではありません。あなたが『映画ちいかわ』を鑑賞したなら、自身のノートやメモ帳、あるいは、自身のSNSアカウントで、自分ならではの感想や解釈を言語化しましょう。

それは自分で語る言語化のトレーニングにもなります。『映画ちいかわ』が仕掛ける「観客に言語化させる戦略」に“乗ったもの勝ち”です。