ケネディ暗殺で見えなくなった「段階的撤収」の行方
しかし、1963年11月、ケネディはテキサス州ダラスで暗殺されてしまいます。
もしケネディが生きていたなら、検討されていた段階的な撤収方針はどこまで進められていたのでしょうか。それとも、情勢の変化によって再び軍事介入を拡大していたのでしょうか。今となってはその答えを知ることはできません。
その後を継いだジョンソン大統領のもとで、アメリカのベトナムへの軍事介入は大幅に拡大していきます。結果として、アメリカは出口の見えない泥沼の戦争に深くのめり込んでいくことになりました。
もしケネディがあと数年生きていたら――ベトナム戦争の歴史、そしてアメリカと世界の進路は、大きく変わっていたかもしれません。
部下の強みを活かすも殺すも、リーダー次第
ケネディは、マクナマラが持つ「合理的で冷静な分析力や判断力」という強みを、うまく活かしていたように思います。その強みは、ソ連との核戦争寸前まで追い込まれた「キューバ危機」でもいかんなく発揮されましたし、ベトナム政策についても、マクナマラらの分析を踏まえながら軍事要員の段階的な縮小・撤収を検討していました。
このように、部下の強みを活かし、成果につなげることは、リーダーとして大切な資質の一つです。しかし、リーダーが代わり、その強みの使われ方が変わったとき、同じ能力が必ずしも良い結果につながるとは限りません。
ジョンソン政権下で、マクナマラが持っていた「数字によって合理的に判断する」という強みは、やがて別の方向へと働き始めます。それが、アメリカをベトナム戦争の泥沼へと深く入り込ませる一因となっていくのです。





