優秀な部下の能力は、リーダー次第で最強の武器にも最悪の罠にもなります。米ケネディ政権で才覚を発揮した国防長官マクナマラ。しかし、大統領交代後、彼の「合理的な分析力」はなぜアメリカを泥沼のベトナム戦争へ引き摺り込んだのか? 書籍『リーダーは世界史に学べ』の著者が、歴史の転換点を例に、部下の強みを活かすも殺すもトップ次第という組織マネジメントの真髄に迫ります。

【歴史に学ぶ】優秀な部下の“強み”が裏目に…組織を泥沼に追い込むリーダーシップ・ワースト1Photo: Adobe Stock

もしケネディが暗殺されていなければ、
ベトナム戦争は回避できたのか?

ロバート・マクナマラ(1916~2009年)は、アメリカの政治家で、第8代国防長官を務めた。カリフォルニア大学バークレー校を卒業後、ハーバード大学で経営学修士号を取得。第二次世界大戦では陸軍航空軍に所属し、統計分析などの業務に従事した。戦後は、自動車メーカーのフォードに入社し、データや数値を重視した合理的な経営手法で成果を上げ、フォード家以外で初めて社長に就任。しかし、その直後にジョン・F・ケネディ大統領から国防長官に指名され、フォード社長を退任。国防長官としては文民統制を強化し、特にキューバ危機では軍部の強硬論を抑えながら、核戦争の危機を回避するために重要な役割を果たした。一方、ベトナムではケネディ政権下でアメリカの関与拡大を推進したものの、政権末期には米軍事要員の段階的な縮小・撤収も検討された。ケネディ暗殺後のリンドン・B・ジョンソン政権下では戦争が拡大の一途をたどり、アメリカ軍の被害も増大。その後、戦争の進め方に疑問を深め、縮小をジョンソン大統領に進言するようになったが受け入れられず、最終的に国防長官を辞職した。

アメリカをベトナム戦争へと駆り立てた「ドミノ理論」

ベトナム戦争(1955~1975年)は、冷戦という世界的なイデオロギー対立のなかで起きた、象徴的な戦争の一つです。北ベトナムは社会主義陣営、南ベトナムはアメリカが支援する反共陣営に属し、アメリカは南ベトナムを支援する形でこの戦争に深く関与していきました。

ベトナムは19世紀後半からフランスの植民地支配を受けていました。しかし、第二次世界大戦後にはホー・チー・ミンを中心とする独立運動が勢いを増し、フランスを打ち破って独立を勝ち取ります。ただし、ホー・チー・ミンが共産主義を掲げていたことから、アメリカは警戒を強めました。

「ベトナムが共産主義国家になることで、東南アジア全体に共産主義が波及する」という、いわゆる「ドミノ理論」が、当時のアメリカ政府の基本的な見方だったのです。

現地の厳しい現実――ケネディ政権が検討し始めた「段階的撤収」

1961年、ジョン・F・ケネディが大統領に就任します。彼は、自動車メーカー・フォードの元社長であるロバート・マクナマラを国防長官に任命しました。マクナマラは合理的かつ冷静な分析力や判断力で知られ、キューバ危機における核戦争回避などでも重要な役割を果たした人物です。

ケネディ政権は、南ベトナムに大量の軍事顧問を派遣し、共産主義勢力との対決姿勢を鮮明にしていました。しかし、南ベトナム政府の不安定な政治状況や戦況の厳しさが明らかになるなか、政権内ではベトナム政策の見直しも検討されるようになります。

1963年には、情勢の改善を前提として、アメリカの軍事要員を段階的に縮小・撤収する方針も話し合われました。マクナマラもまた、現地情勢を分析しながら、その計画に深く関わっていきます。

とはいえ、それはアメリカがベトナムへの関与そのものを直ちに断念するという単純な話ではありませんでした。ケネディ政権自身が軍事顧問を大幅に増員してきた経緯もあり、ベトナム政策をどのように転換していくのか、その行方はいまだ定まっていなかったのです。