「花の都」パリ――。広い大通り、美しい街並み、公園、整った上下水道。いま私たちが思い浮かべるパリの姿は、19世紀のナポレオン三世による大改造で形づくられた。だが、その目的は街を美しく、暮らしやすくすることだけではなかった。狭い路地をなくし、幅広い道路を通すことには、革命のバリケードを築きにくくする狙いもあったとされる。近代化と統治は、なぜ同じ都市計画の中で結びついたのか。『地図で学ぶ「深読み」世界史』の著者が、パリの地図と街並みに刻まれたナポレオン三世の政治を読み解く。

「美しいパリ」の裏に革命対策? ナポレオン三世が広い大通りを造った意外な理由Photo: Adobe Stock

いまの「美しいパリ」は、ナポレオン三世がつくった?

 ナポレオン三世の政治を「独裁か民主主義か」という二択だけで見ると、本質を見失う。彼の強みは、むしろ大衆の支持を利用しながら強い国家を作ろうとした点にあった。代表的なのが、パリの大改造である。

 第二帝政期、セーヌ県知事オスマンのもとで、パリには広い大通り、公園、上下水道などが整備された。現在私たちが思い浮かべる「美しいパリ」の都市景観は、この時期に大きく形づくられている。

広い大通りには「革命対策」の狙いもあった?

 こうした事業には、衛生改善や交通整備という明確な近代化の目的があった。一方で、政治的な意味もあった。公共事業は雇用を生み、経済を刺激し、政権の成果を目に見える形で示すことができる。また、狭く入り組んだ路地を広い道路へ変えることは、革命時にバリケードを築きにくくする効果もあったと指摘される。つまり都市改造は、生活改善と治安、景気対策と権力維持が重なった政策だったのである。

「国民のため」と「政権のため」は矛盾しない

 この二面性こそ、ナポレオン三世の政治の特徴だ。国民生活をよくすることと、自分の政権を強くすることが、必ずしも別々ではない。道路を作れば人は便利になり、同時に国家の存在感も強まる。教育を広げれば国民の能力は高まり、国家が社会へ深く入り込むことにもなる。

 だからパリ改造を「美しい街を作った政策」とだけ見るのも、「革命を防ぐための統制策」とだけ見るのも足りない。近代都市は、快適さと管理の両方を求めて作られた。

 ナポレオン三世を見る面白さは、近代国家が「国民のために働くこと」と「国民を統治すること」を同時に進めていった過程が見えるところにある。その矛盾が、今のパリの景観そのものに刻まれているのである。