選者の里見は「(選者)2人が会っていろいろと批評し合った方が正当な結果に落ち着いたのではないか」、久米は「1等200円を喜んで与えたいような作品はなかった」と選評を記した。

 また、千代の『脂粉の顔』について里見は「小説らしい小説で清新味に乏しい」、久米は「少しぴかぴかし過ぎていて悪達者な感じを禁じ得ない」と評している。

「1等当選の喜びにもまして、そのときの多額な賞金は、私を吃驚させたのです。小説とはこんなに金の儲かるものか」(『私の文学的回想記』より)

『中央公論』掲載を信じ
名編集長に原稿を送る

 千代の入選は札幌でも話題になった。千代は『啓明』や『北海タイムス』(編集部注:かつて北海道札幌市などに本社を置いて発行されていた日本の地方新聞)、さらに北海道文学を代表する同人誌『路上』にも作品を発表するようになる。

「私は、自分にはものを書く力がある、と思い込んだ。夜も昼も書いた。最早や、仕立物をする時間なぞはなかった」(『生きて行く私』より)

 千代は『時事新報』の入選発表と前後して『北海タイムス』に「一瞬の暗闇」「動揺」、「東京といふ處」を発表、『啓明』に「兵卒と彼女」「朝」「頭の中にある話」「ひとりで躍る」「玩具の提灯」などを掲載した。

『萬朝報』(編集部注:明治時代から昭和時代にかけて発行された日本の日刊新聞)にも「宴の前」「或夫婦」「妬心」などを投稿し続けた。その後、千代は「墓を発く」を書き始めた。

 経験に基づく階級組織の欠陥が主題で、主人公は若い小学校教員の「吉子」。上京前から私淑していた小川未明の影響を感じさせる社会派小説で、千代は燕楽軒(編集部注:大正時代に東京都文京区本郷に実在した有名な西洋料理店。文豪や編集者のたまり場で、千代は18日間ほどウェイトレスとして働いていた)で知り合った滝田樗陰に託すつもりだった。

「私は自分の書いたこの原稿が、滝田樗陰の手を経て、必ず『中央公論』誌上に掲載されるであろうことを、信じて疑わなかった」(『生きて行く私』より)

 千代は完成した原稿を、中央公論社の滝田に書留郵便で送った。