The Legend Interview不朽Photo:Generated with ChatGPT
 影山裕子(1932年2月1日~2005年9月13日)は、戦後日本の女性管理職第一世代を代表する存在だ。長野県の名門・松本深志高校の女子生徒第一号を経て東京大学経済学部を卒業後、日本電信電話公社(現NTT)に入社。在職中に米コーネル大学労使関係学部に留学して労働経済学と女性の労働参加を研究し、日本企業における女性の地位向上に力を尽くした。日本有職婦人クラブ会長や総理府の婦人問題企画推進本部参与も務め、評論家としても活躍した人物である。

 そんな影山が「週刊ダイヤモンド」1970年8月31日号に寄稿している。「女性の職場」をテーマに、ビジネスパーソン100人へのアンケート調査を基に持論を述べたものだ。1970年という「女性の社会進出」のまさに黎明期において、影山氏は国立電報電話局の局長という要職にあった。

 影山はまず、「男女同権思想の普及」こそが戦後の高度経済成長を支えたと分析する。戦後、女性が家庭の財布のひもを握り発言権を強めたことで、電気洗濯機やテレビなどの家電への猛烈な消費欲求が生まれ、それが市場をけん引した。つまり、高度経済成長期の女性は「消費の意思決定者」として日本経済を回したという見方だ。

 その上で、70年代以降は女性の役割が消費を引っ張るだけでなく、「ウーマンパワーが労働力不足を補い、能力を発揮する時代になる」と述べ、社会を動かす「主体」へとシフトしていくことをいち早く予言していた。

 また、女性がキャリアを築く舞台として、影山は「大企業」ではなく「中小企業やサービス業、新興職種」を挙げる。「大企業には優秀な男性がひしめき合っており、人事管理も硬直化しているため、女性が幹部に育つ可能性は極めて低い」と言い切り、代わりに人事制度が弾力的な中小企業や、当時は最先端だったコンピューター関係や、フィーリング(感性)を生かせるサービス・コンサルタント業に勝機を見いだしたのだ。「伝統のない新興産業の方が、ジェンダーギャップなく実力で評価されやすい」という構図は、現代のIT・スタートアップ業界のキャリア論にもそのまま通じる。

 一方で、女性の職域拡大が当面は「男性が嫌がった割の良くない仕事のあと埋め」で進むだろうという冷めた予測も披露しているが、「これでも、前と比較すれば一大前進である」と述べるあたりに、当時の厳しい社会状況と、その中で一歩ずつ進もうとする現実的な視点がうかがえる。

 最後に、国立民族学博物館の初代館長を務めた文化人類学者・梅棹忠夫の「フリーセックス」論を紹介している点も興味深い。梅棹は、フリーセックス(性の自由化)によって女性が出産や生殖から切り離され、「妻」や「母」という役割に縛られる必要がなくなれば、人間が「個」として自立できると説いた。性の解放が進めば、結果として性差を意識しない「セックスレス社会」が生まれ、仕事の面でも女性が生き生きと活躍できるようになる、という大胆な未来予測だ。

 影山がこれを「希望的観測」としつつ触れているのは、そこまでダイナミックに文化風土を変える必要性を感じていたのだとも受け取れる。(敬称略)
(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

高度経済成長を支えた
男女同権思想の普及

 良家の子女は働かずという戦前の伝統を破り、職場へ続々進出してきた若い女性は、工場で、オフィスで、低廉・良質な労働力として経済の高度成長を支えてきた。

 だが経済成長の上で女性の果たした役割は、それだけではないと思う。戦後女性に参政権が与えられ、男女同権、家庭民主化思想が普及するにつれ、女性は一家の財布のヒモをがっちりと手中に収めることに成功、家庭内における発言権は著しく強大となった。

「週刊ダイヤモンド」1970年8月31日号「週刊ダイヤモンド」1970年8月31日号

 そこに現れ出たのが電気洗濯機、テレビ等々の一連の電化製品である。アパートの1軒の家に持ち込また1台の電気洗濯機は、アパート中の主婦の心を揺さぶった。彼女たちの強烈な消費欲求、他人指向型の行動は、家庭用品の爆発的需要を引き起こした。

 もし戦前のように男性が家庭における購買決定権者であったなら、果たしてあれだけの需要が起こっただろうか。

 このように考えてみると、終戦から1950年代にかけての男女同権思想の普及が、高度成長の上で重要な役割を果たしたといえそうである。