1973年、太平洋を航海中にクジラと衝突して船を失い、118日間を漂流した英国人のモーリスとマラリンのベイリー夫妻。その壮絶な実話を描いたノンフィクション『極限の漂流118日間』(ソフィー・エルムハースト著、村井章子訳)に、作家の椎名誠さんは「波の数ほどの絶望を切り裂いていくと世界最大のシーフードレストランがあった――さわやかでおいしい漂流記」という推薦文を寄せた。『漂流者は何を食べていたか』(新潮選書)の著者でもある椎名さんならではの視点だ。インタビュー第4回は、漂流と「食」について聞いた。(取材・構成/小川晶子)

ウミガメを生で食べ、肛門から水分を摂取して生き延びる……。椎名誠に聞く「漂流者たちのおどろきの食事」Photo: Adobe Stock

「さわやかでおいしい漂流記」の真意

――『極限の漂流118日間』に椎名さんが寄せてくださった言葉は「波の数ほどの絶望を切り裂いていくと世界最大のシーフードレストランがあった――さわやかでおいしい漂流記」で、他の方とはちょっと角度が違いますよね。

椎名誠(以下、椎名):僕はいろいろな漂流記を読んできているからとくに思うんだけど、生きる希望と食欲って切り離せないんですよ。食べ物に興味がなくなったらもう死期が近いと思っていい。
モーリスとマラリンの夫婦は太平洋で漂流しました。絶望的な状況ですが、これは見方を変えればまわりは美味しい海の幸だらけだということです。それが生きる力になったと思うんです。

ウミガメとの死闘

――確かに本書を読んでいてワクワクしたのは食のシーンでした。

椎名:とくにウミガメをどう獲って食べるかというあたりは面白いですね。漂流記でいちばん面白いのは、少ない道具と少ない素材を使って、どうやって食べるかという工夫なんです。

――衝撃的なシーンで、とても印象に残っています。マラリンが返り血を浴びながらウミガメをさばいて、しかも生で食べるという。

カメが暴れたり長いこと苦しんだりしないよう、モーリスはパドルを高々と振り上げ、カメの頭めがけて力いっぱい振り下ろす。それからカメの腹を上にしてひっくり返した。そこでマラリンが頭を切断しようとしたが、いかんせん道具が貧弱すぎる。切れ味の悪い折りたたみナイフ、ペンナイフ、ステンレス製のハサミだけである。(中略)とうとう動脈を切断することに成功し、大量の血がマラリンの腕に飛び散る。
――『極限の漂流118日間』より

椎名:火も使えず、料理なんてできませんからね。それでも脂の部分がおいしいとか、血は貴重な水分だとかいうことがわかってきます。

太平洋漂流のふしぎな共通点

――椎名さんはさまざまな漂流記の「食」の部分に焦点をあてて紹介する『漂流者は何を食べていたか』(新潮選書)という本を書かれています。
この本のトップバッターがまさに『極限の漂流118日間』のモーリスとマラリンの話でした(実際に紹介しているのは元となった手記『117日間死の漂流』講談社)。

椎名:そうそう。ウミガメのシーンや、安全ピンを使った魚釣り、カツオドリを手づかみでつかまえる話などを紹介しています。
同じく、ウミガメのレアステーキを食べていたというイギリス人家族の話(『荒海からの生還』ドゥガル・ロバートソン著、河合伸訳、朝日新聞社)も合わせて紹介していますが、これも面白いんです。
モーリスとマラリンの船「オーラリン号」がクジラに衝突したのはガラパゴス諸島に接近する前でしたが、ロバートソンファミリーの船がシャチに襲われたのはガラパゴス諸島を過ぎたあたりで、共通点が多いんですよ。

救助にも共通点があります。オーラリン号を救助したのは韓国のマグロ船でした。ロバートソンファミリーを助けた船は日本のマグロ漁船「第一東華丸」です。ふしぎに似ているなぁと思ってね。もう一件似た救出例があったら、奇跡のジンクスになりそうだなぁ。

――広大な太平洋で、どちらもアジアのマグロ漁船が救出したのですね。

「肛門から水分摂取する家族」に衝撃!

椎名:ロバートソンファミリーの漂流ですごいのは、「水分摂取の仕方」です。
人間は体内に水分がなくなると病気になるし、ダメになるんですよ。もちろん海水をそのまま飲むわけにはいきません。死んじゃいます。雨水がほしいところだけど、そんなに都合よく雨が降ってくれるわけじゃない。
そこで、この家族のお母さんは魚の体液など飲むには難しい水を使ってみんなに浣腸をするんです。空気注入用の簡易ポンプで、水を体に直接入れるという発想。これには驚き、感動しましたね。このお母さんは元助産師だというから、医学的な知識があったのでしょう。

――お尻から水を体に入れるとは……! 普通は思いつきませんね。

椎名:やはり知識は大事です。サバイバルには体力も必要ですが、基本的な料理の知識や化学の知識なんかも重要です。食材をどうやって長持ちさせるかとか、どうすればおいしく食べられるのかというのは化学ですから。いかに工夫して生き延びるかには頭の良さも関係してきますよね。

生還して、またあれを食べたい

――『極限の漂流118日間』では、マラリンが漂流中にいろいろな料理のメニューを考える場面も印象的でした。どれも美味しそうで。

椎名:あの気持ちはよくわかります。やっぱり生きようと思うんですよ。生きて帰って、またあれを食べるんだ! って。食べることへの気持ちが強い人は、長く耐えられるのかもしれませんね。