やるべきことがあるのに、どうしても手がつかない。気づけば締め切りが迫り、「また先延ばしにしてしまった」と自己嫌悪に陥る。多くの人が、先延ばしを克服すべき悪い癖だと考えている。だが、その「悪いもの」という見方そのものが、かえって私たちの足を重くしているとしたらどうだろうか。書籍『予想だにしないほど人生が大きく動き出す 小さな実験』をもとに解説する。

何かに取り組むうえで、先延ばしは大敵とされている。

先延ばしの苦しさは「二重」になっている

企画書を書かなければならないのに、なぜかデスクの片づけを始めてしまう。返さなければならないメールを開いては閉じ、別の作業に逃げる。夜になって「今日も進まなかった」と落ち込み、翌朝はさらに気が重くなる――。

このとき私たちが抱えているのは、実は二つの負担だ。ひとつは、手をつけられていない仕事そのもの。もうひとつは、「手をつけられない自分はダメだ」という自己批判である。

何かに取り組むうえで、先延ばしは大敵とされている。
けれど、この否定的な見方こそが私たちを追い詰め、先延ばしを必要以上にストレスの多いものにしているのだ。

(『予想だにしないほど人生が大きく動き出す 小さな実験』より)

先延ばしをしてはいけないと強く思うほど、手が止まったときの罪悪感は大きくなる。そして、その罪悪感が新たな重荷となり、ますます取りかかりにくくなる。悪循環の正体は、先延ばしそのものより、それを責める心の動きにあるのかもしれない。

自分を許した人ほど、次は早く動ける

反省すれば次はうまくいく、と考えがちだが、実際はそう単純ではない。「なぜ自分はいつもこうなのか」と責め続けると、その仕事を思い浮かべるだけで嫌な気分がよみがえるようになる。すると、気持ちを守るために、ますますその仕事から目をそらしたくなる。厳しく反省するより、「まあ、そういうこともある」と受け止めたほうが、次の行動に移りやすいのだ。

これは、怠けてもいいという話ではない。自分を責めることにエネルギーを使い果たしてしまうと、肝心の作業に向ける力が残らない。責めるのをやめることは、むしろ前に進むための余力を取り戻すことなのだ。

手が止まる理由を、ただ観察してみる

では、先延ばしをしている自分に気づいたとき、どうすればいいのか。ひとつの方法は、評価するのをやめて、観察してみることだ。

手が止まる背景には、たいてい何らかの理由がある。やるべきことが大きすぎて、どこから始めればいいかわからない。うまくできなかったらどうしようという不安がある。あるいは、そもそも本心ではやりたくないことなのかもしれない。理由がわかれば、作業を小さく分ける、誰かに相談する、取り組み方を見直すといった次の手が見えてくる。

先延ばしを「直すべき欠点」として扱っているうちは、こうした理由に目が向かない。責める対象から、手がかりを与えてくれるものへと見方を変えたとき、止まっていた手は自然と動き出す。

先延ばしから抜け出すために必要なのは、自分に厳しくなることではない。手が止まっている自分を、責める代わりに少し離れて眺めてみることだけでいい。