ジュリアス・ローゼンウォルド

 ジュリアス・ローゼンウォルドが小売業を始めたのは弱冠21歳のときだった。独立してニューヨークに衣料品店を開店したのがその出発点だ。そこでビジネスチャンスをかぎ分ける鋭い鼻を活かし、まずその小売業を夏物衣料の製造に方向転換させ、その次には製造をやめてシアーズローバックに副社長として加わる。夏物衣料の製造事業の拠点にシカゴを選んだことが大きな転機となった。

 ローゼンウォルドは、シカゴで、通信販売事業で財をなした起業家のR・W・シアーズと出会う。

 シアーズは通信販売事業を20世紀まで存続させることができる人材を必要としており、ローゼンウォルドに白羽の矢を立てた。1932年にローゼンウォルドが他界するまでに、同社の通信販売事業は立派に立ち直った。取り扱い製品の種類を増やし、革新的な労働環境をつくり、アメリカ全土に何百もの店舗を開店させ、そしてモンゴメリーウォードを始めとする競争相手を大きく引き離している。

生い立ち

 1862年、イリノイ州スプリングフィールドで生まれる。子どものとき、自分の町で家庭を一軒ずつまわる訪問販売をしていた。教会のオルガンの送風機を動かし、パンフレットを配り、そして当時大流行した多色石版刷りの絵を売って歩いた。夏休みは雑貨店で働いた。

 16歳のとき、ローゼンウォルドは学校を辞め、ニューヨークでおじが経営する衣料品流通業の会社で働くことにした。つましい生活をしたおかげで貯金ができ、21歳のときには4番街にある小さな衣料店を買収するのに十分な金額になっていた。

 ある日、ローゼンウォルドは近くの店の経営者となにげなく言葉を交わしていた。男性用の夏物衣料をつくっていたその経営者は、注文に追いつけず困っているともらした。

 ローゼンウォルドはその言葉を頭の中で何度も何度も繰り返し、真夜中になって、とんでもない結論を思いつく。そして小売店をやめてしまうことにした。