農業立国を実現するには経営規模を拡大する必要がある。それを阻害しているのが1952年にできた「農地法」だ。そもそも戦後、農村が共産主義化・社会主義化するのを防ぐ意図で作られたこの法律が、零細農家中心という構造を固定化してしまった。その後改革は行われたものの、農地の集約化・経営の規模拡大にはほとんど役立っていない。農地を集約し規模拡大を実現するには土地利用を定めるゾーニング規制を強化する一方、農地法を廃止する必要がある。

防共政策に利用された農地法

前回論じた食管・減反による高米価政策と並んで、農地法と農協法は戦後農政の3本柱だった。高米価政策を是正するだけでは、日本農業を農政という桎梏から解放するのに十分ではない。本年の規制改革会議で、農地制度と農協が取り上げられようとしている。今回は、農地制度の何が問題なのか、どう改革すればよいのか、を論じたい。

 戦前の農政は、「小作人の解放」と「零細農業構造の改善」を目標とした。前者は農地改革で実現したが、これによって自作農=小地主が多数発生し、零細農業構造を固定させてしまった。

 しかし、1952年にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の要求で制定された「農地法」は、これを改善しようとするのではなく、維持しようとしたものだった。他の経済改革と違い、農地改革だけは、日本政府、農林省の発案だった。最初GHQは農林省の農地改革案に「ノー・オブジェクション」とだけ言い、全く関心を示さなかった。しかし、GHQはやがてその政治的な重要性に気づく。

 終戦直後、小作人の解放を唱え、燎原の火のように燃え盛った農村の社会主義運動は、農地改革の進展とともに、急速にしぼんでいった。農地の所有権を獲得し、小地主となった小作人が、保守化したからだ。これを見たGHQは保守化した農村を共産主義からの防波堤にしようとして、農地改革の成果を固定することを目的としただけといってよい農地法の制定を農林省に命じた。

 農政官僚たちは、農地法の制定に抵抗した。かれらは、農地改革で小作農を開放した後、零細な農業構造改善のために“農業改革”を行おうとしていたからである。地主階級の代弁者だった与党自由党も、農政官僚とは逆の立場から、農地法には反対した。