・社会人になってからの友人関係は気を遣う場合もある。学生時代の友人は気を遣わなかった。社会人の友人は気を遣うけど、得るものがあるから付き合っている。(23歳/男性)
・友人によっては触れてはいけない“地雷”があるので、気を遣うときは誰よりも気を遣う。(27歳/女性)
・交友関係が広いので、友人と知人の区別がつかない。どちらもそれなりに気を遣う(25歳/女性)
・忙しいときにLINEの既読がたまると、返さなきゃいけないというプレッシャーがたまる。(25歳/男性)
・理想としては、気を遣わない相手と付き合いたい。でも、そういう友人はいないので、気を遣いながら付き合っているという感じ。(26歳/女性)

 手元の国語辞典によると、友達とは、「互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人」とあるので、少なくとも本来の友達には「気を遣わなくてはいけない面倒くさい相手」というイメージはない。もしこの国語辞典が正しい”友達観”を示していると仮定したら、今はちょっと異常な状況だともいえないだろうか。

 では、なぜ友達は今や“面倒くさい存在”になってしまったのか。早速、探っていこう。

必然性がなくなった友達付き合い
だからこそ生じる「友達格差」

 先ほどのコメントで、「知人と友達の区別がつかない」というのは、とても現代社会のリアルを表している気がする。インターネットが登場する以前の話をすると、友だち付き合いというのは、おおむね地元の付き合いや、学生の頃のクラスメイト、辞めた会社の同僚など、ある時期に深い人間関係を過ごし、かつ現在も会えば楽しい会話が成立する関係を指していた。つまり、ある期間一緒に過ごすという経験と、互いに共感しあえるという2つの経験を踏むことが、友達になる条件の1つともいえる。したがって、共感し合えるという自発的な要素と、ある期間を一緒に過ごすという偶然的な要素が絡み合わないと友達になれないことがわかる。