田舎にも家を持つことのリアリティ
その後、ニイニの下に長女のポチンが生まれたころから、「東京に暮らすだけでいいのかなあ」「田舎が欲しいなあ」という思いに拍車がかかり、この妄想が夜の晩酌の肴になるようになりました。夫婦そろって両親とも東京にいるため、夏休みに帰省する田舎というものもない中、週末ごとにこどもたちを「どこの自然で」遊ばせるかに悩みながら出かける日々は続いていました。
ただ、田舎が欲しい、自然の中で子育てしたい、と話しはするものの「では、さっそく田舎に引っ越しましょう!」とヒラリ生き方を変えるほどのフットワークの軽さもなければ、経済力もないのが実情。夫は激務の勤め人、わたしは雑誌のライター業、また夫の実家で義母と義祖母(当時)と同居していることもあり、東京を離れることはとても考えにくい状況です。
さらに言えば、まだまだ小さいこども2人(のちに3人)をこれから育て上げなければならず、一般的に大学卒業まで養育するのに一人当たり3000万円というのですから、現実はなかなかに厳しいのです。この、高くて高くておよそ突き崩せない「東京で生きる壁」を、木槌でコツコツと叩きはじめたのは、夫の方でした。
「たとえば、おまえはちょっと変なくらい動物好きだろ? カタツムリを手に這わせたり、フクロウ飼いたがったり、こないだは公園にいた巨大なカエルをかわいいって抱っこしてたよな?」
そんな、どうでもいい話からの導入でした。
「あとな、最近、観葉植物が家にあふれてるけど、なんか窮屈だよな、こちゃこちゃと育てるのって。東京っていうのはあれだな、場所に不自由だよな」
こまごまと支離滅裂に聞こえる話は続きます。
「つまりさ。なんかないかね? ほら『大草原の小さな家』って物語があるだろ? ああいう暮らし方。きっとこどもたちを育てるのにいいだけじゃなくて、俺らも楽しいよ。家はボロでも小さくても、まわりには自然が広がっていて、あっち行っちゃダメこっち行っちゃダメじゃなくて自由に遊べるところ。そういう家ないかね」
そういう家は、あいにく今持ち合わせていません。靴下の片一方みたいに、ないかねと言われてすぐ出てくる類のものではないし、なのに出せと言われはしないかとわたしは身構えました。元来わがままな夫、何かまた、無理無体を言いはじめるのではないかと。
「あるだろ? あるよ、きっと。今まで興味なかっただけで探せば出てくるよ。そういう夢のある田舎暮らし物件」
あるかもしれないけれど、今わたしは知らないし、引っ越すのが無理な事情は共有しているはずです。
「だからさ、週末住宅っていうのかな? 車で週末通えるところにあるもうひとつの家。そんなのがいいよな。別に贅沢言ってるわけじゃないよ、軽井沢に豪華な別荘を建てるっていうんじゃないよ、ボロい家が付いてる、やすーい土地でいいんだ。あるいは、広い土地に小さな小さな小屋を建てる。どうかな?」
もうひとつの家。ちょっとひっかかるフレーズでしたが、もうひとつ家を買うという規模の贅沢は論外、とすぐに首を横に振りました。やっぱり、ありえない。日々の生活水準を考えると、家計にとって大変バランスの悪い出費だと思えたからです。
夫はそんなわたしの冷たい反応など屁とも思わぬようで、引き続き持論を展開します。