私がもしリクルートの社長なら
ホットペッパーはやめさせただろう

 私は想像する。最初に勤めたリクルートに外の世界を見ることなく在籍し続け、(そんなことはあり得ないが)もし社長になっていたら、きっと会社をダメにしていたのではないだろうかと。

 私は、当時の社内における一般的な見解に則り、リクルートを「人生の重大な節目の意思決定の場面に必要不可欠な情報を提供する企業」だと定義していた。たとえば、「リクナビ」などの就職・転職、「suumo」などの住まいの購入や転居、『ゼクシィ』などの結婚……たしかに人生の「ハレ」に関する大きな決断の支援である。こういった大事な場面に必要な情報をお届けするということには、とても大きな意味を感じることができる。

 しかし、最近大きく成長してきたホットペッパーなどで提供されるのは、レストランや美容院の情報だ。どの店で宴会をするか、どの美容院で髪を切るかは、果たして人生を左右するほど重大なことだろうか。クーポンチケットの購入やバイトのシフト管理にいたっては、まさに「ケ」=日常であり、「ハレ」にかかわる情報提供をする企業という定義に従うならば、完全に逸脱しているということになる(もちろん、別の観点から見ればしっかりとした意義があるのだが、旧来の見方に固執してしまうとそれが見えないということを述べている)。

 それらのサービスのおかげで便利になったのはわかる。結果、会社に大きな利益をもたらしているのもわかる。でも、私が社長だったら、「稼げるからといって、定義から外れたサービスを提供しなくてもいい! そんなもので10億儲けようが20億儲けようが大義がない」と切って捨ててしまったのではないかと思う。自分たちが過去に作った定義を盲目的に“大義”として掲げ、それにこだわり、企業の成長を止めてしまっていた可能性が高い。そうなると、まさしく「老害」だ。