社会のルールは近所の人に教わった

 曾野田は言う。

「僕は築地小学校、銀座中学と地元の学校に通いました。ずっと、ここに住んでいます。子どもの頃、うちの店がある路地で遊んでいたら、『おい、ぼうず、危ないことするなよ。運河に落ちるぞ』と、市場で働いている人から注意を受けました。また、近所の風呂屋に行ったら、『ぼうず、身体はちゃんと洗ってから入れよ』と、マナーを教わりました。社会のルールや行儀を親でなく、周りの人から教えてもらったんです。そんな、近所づきあいのいい町でした。私はそこが築地のいちばんいいところだと思った。でも、いまは変わりました。だって、でも、他人の子どもに注意したら、なにを言われるかわからないでしょう。築地のいちばんいいところがなくなりつつあるのが残念ですね」

 多け乃食堂にやってくる客で増えたのは銀座、丸の内で働く人々である。曾野田はビジネスパースンがとまどいながら入ってくるのを見て取ると、「今日はかれいの煮たのがうまいよ」などと、自ら声をかける。そうして、客をリラックスさせる。うちとけた客が「築地ではどの店でまぐろの切り身を買ったらいいかな」と訊ねてきたら、曾野田の母の肇子が「場内の卸売屋で買えばいいよ。ただし、午前9時以降にしてね」とアドバイスする。世話を焼くのが好きな人たちなのである。

 同店で働いているのは全員、曾野田ファミリーだ。曾野田(長男)と妻、弟と妻、母、伯父。家族経営だから、料理の値段も高くはない。

「それでも、きんき、のどくろの売価は一尾で4000円になります。450グラムもあるやつだから、どうしてもそれくらいになってしまう。でも、同じものを銀座で食べたら、8000円にはなるでしょう。お客さんには言うんですよ、きんき、のどぐろでなくていいですよ、と。他の魚にしたらいいんじゃないのって」

 曾野田ファミリーは長く商売することが大切とわかっているから、客に高いものを食べさせて、金をふんだくろうなんてことは考えていないのである。