この世に生を授かった点で
みんな一緒
この本の読者の方々に知っておいてほしいのは、どんなに障がいがあっても、その子なりに生きていて、この世に生を授かったという意味では、みなさんと一緒だということです。
世間では、不幸にしてそういうふうに生まれたと言いますが、私から言わせてもらえれば“不幸にして”ではないんです。
読者のみなさんと同じように、この世に生を与えられ、生まれてきたのです。生まれたからには、なんとかして生きなければならない。
“不幸にして”こういう子に生まれたんじゃないんです。
私をこういう体に生んでくれと言って、生んでもらったわけじゃないのですから、“不幸にして”という言葉を安易に使う人は嫌いです。
そういう言葉を使う人は、どこかで「かわいそうに」と思っているのです。
そうではなく、生きた肉体を持った子どもを産んだのですから、生を授かったということでは一緒なんです。
どんな子にも、キラリと光るものがある
ただ、扱い方や接し方がちょっと違うだけです。
たとえて言えば、視覚障がいのある子どもに「あれを見ろ、これを見ろ」とは教えませんよね。
それと同じように、その子がいまはできなくても、なにか自分を伸ばすような糸口が必ずあると思います。
その糸口を、周りの人が探してやらねばいけないのと、基本的な考え方として人間はオギャーと生まれてきたときから、誰でも同じ生きていく権利があることを、頭の中から消してはいけないということです。
そういう気持ちで見ると、どんな子でも、その子の持っているキラリと光るものが見つかると、私は信じています。