今年3月に社長に就任した当初は、「和民」の屋号へのこだわりを見せていたが、一転、今回は100店の業態転換を打ち出した。何が決意を促したのか、清水邦晃社長にこれまでの経緯と胸中を聞いた。(聞き手/「週刊ダイヤモンド」編集部 須賀彩子)

しみず・くにあき/大学在学中から和民でアルバイトを始め、1991年ワタミフードサービス入社。2006年ワタミの介護社長、14年10月ワタミフードサービス社長、15年3月より現職。45歳。 Photo by Masato Kato

──3月に社長に就任した当初、まだ「和民」の屋号へのこだわりを見せていました。ところが、今回、3割の店から「和民」の名前を外しても構わないと、方針を大きく転換しました。

 僕は和民で育って和民が好きだから、当初はこれで勝負したいという気持ちがありました。同じ「和民」でも、売り上げを伸ばしている店があったからです。

 特に、社員から独立したフランチャイズオーナーが運営する店がそうで、プラスアルファの商品やサービスを提供することで、大きな投資をしなくても好調です。そういう事例があるわけだから、まず、一度はそこを目指さないといけないなと考えました。

 それに、社長に就任した途端、屋号を変えるようでは業態から逃げることになるし、社員にも示しがつかないから、まずはいい店をつくろうと。最初はそういう判断でした。

──しかし、なかなかうまくいきませんでした。和民のどういった点が問題だったのでしょうか。

 昨年10月に外食事業会社の社長に就任した際、全国の店舗を回ったのですが、その半年前に商品単価を引き上げたことに現場が追い付けていませんでした。

 価格を上げた際に、量を増やすなど付加価値を付けたわけですが、食材が300アイテム以上に膨らんだり、調理工程数が増えてオペレーションが混乱してしまっていたのです。

 その結果、料理を出すまでに時間がかかったり、1日に1食も出ない商品が全体の3分の1にまでなったりして、ロスが増えていました。

 例えば、1000円のステーキなんかは東京都心部など、はまった地域もありましたが、学生や地方のファミリー層などからは「高くなったね」という評価になり、客数が減ってしまった。そこで、マーケットが期待する和民の価格帯に戻すことにしました。

 結果、7月と10月は客数が前年同月比で100%を超えることができました。価格を下げたぶん客数が回復するのは当然という見方もありますが、お客さまの数が増えたことは、社員たちには希望が持てる結果になっています。

──それでも今回、屋号を変える決断に至ったのは、何が後押ししたのですか。

 先述した通り、メニューやオペレーションの改善に取り組みましたが、それでも3割の店では反応がありませんでした。お客さまの中に、和民に対するイメージができてしまっている。「しょせん、和民でしょ」と。すると、いくら店内を改善したところで来店してもらうのは難しい。

 僕らが目指すのは、屋号にこだわることではなくて、お客さまに喜んでもらえる店をつくることです。受け入れられている店は残して、屋号を変える必要があれば変えればいいとの判断です。