『俳句界』という雑誌で、都はるみと対談したのは、2006年2月だった。ちょうど10年前である。
「すてきな和服でご登場下さってありがとうございます」と迎えたら、「先生はもう還暦ですって? 今日は赤いチャンチャンコのほうがよろしかったんじゃないですか?」と冷やかされた。
「着てはもらえないセーター、私は編みません」
『パンプキン』という雑誌の1998年9月号で対談して以来、2度目の出会いだったせいもあって、砕けた感じで話は始まった。
こんなヤリトリがある。
佐高 「北の宿から」を誰かがカラオケで唄うのを聴いた社民党の土井たか子さんが、「着てもらえないセーターをどうして編むのよ」と怒ってました。
都 私も多分編まないと思います。唄っている本人なのに申し訳ないけれど。
佐高 「きっと都はるみさんは編まないんだろうな」と思いながら聴いてます。
都 あら、小学生対象のアンケートでは、「(都はるみは)編んでくれそうな人」でしたよ!
佐高 ある年齢までは、男も女を信じている(笑)。
都 でも私、本当に編めないの。そんな私を「編んでくれそうな人」と思ってくれているなんて嬉しかった。ですから、メロディーより詞のほうが影響を与えると思いますね。私自身の性格は「北の宿から」よりも「マイウェイ」です。そうでないと、やっていけないですよ。
最初の対談では、こんなにリラックスはしなかったが、共通の友人の歌人の道浦母都子が作詞した「邪宗門」に触れながら、私は対談前記をこう書いた。
<「大阪しぐれ」や「浪花恋しぐれ」はカラオケでの私の数少ない“持ち歌”である。それを歌うアコガレの都さんとの対談は伊豆大島の「為朝さん」の話から入った。大島では、鎮西八郎為朝のように、島の娘と結婚して島にいついた人間を「為朝さん」と呼ぶ。そうした人が町長になったりして開放的なのだが、大島出身ではないけれども、都さん自身が彼女の歌に開放性と解放性を感じたからである。そこにあの中上健次も惹かれたのだろう。