「少し冷却期間をおきたいんだけど」

 結局、妻の方はそう言い残し、実家(佐倉市)に戻ってしまったのですが、震災が起こったのは、ちょうど別居から7ヵ月目のことでした。

 健人さんは3月11日の夜、ありったけの食料とランタンを持って、妻の実家に届けたそうですが、当時は危険極まりない行動だったと言わざるを得ません。健人さんのマンションは海岸沿いにあり、大津波警報が発令されていたからです。実際のところ、健人さんの身はマンションが高層階だったおかげで何ともなかったのですが、マンションの周囲の平地は津波の被害を受けており、健人さんが妻の実家にたどり着くまでの間、津波に巻き込まれても不思議ではなかったのです。幸運にも健人さんは無事でしたが、なぜ危険を顧みず、勇敢な行動に踏み切ることができたのでしょうか?

「嫁とやり直したい!」

 健人さんにはそんな下心があったからです。実際のところ、妻は健人さんに対して感謝の言葉をかけてくれたため、健人さんはますます調子に乗って、スーパーを何軒も周り、何時間も並び、ペットボトルやポリタンクの水や食料を購入し、妻に届けるという行動を続けたのです。奇しくも3月16日は妻の誕生日でした。

「こんなときに別居している場合じゃないだろう」

 健人さんは一言を添えた上で、あらかじめ用意してきた手書きの手紙を渡したそうです。さすがの妻も手紙を読むや否や、感傷的になり、涙を流し、「ごめんなさい」と口にすると、健人さんの気持ちを受け入れ、自宅マンションに戻ることを約束してくれたそうです。

震災直後のガソリン不足の中
クルマでスキーに出かけた妻

 もちろん、健人さんの作戦が功を奏したという面もありますが、余震が繰り返し続くなかで、さらに被災地の惨状をテレビで目にすることで人恋しいという気持ちに拍車がかかったのでしょうし、一方で経済的な面ではガソリン不足、計画停電、買いだめにより食料不足……厳しい状況に追い込まれ、健人さんに頼りたいという打算的な気持ちもあっただろうと推測できます。

 しかし、震災直後、すぐに妻の化けの皮がはがれました。多くのスキー場は震災の影響を受け、営業できずにいたのですが、それでも営業しているスキー場を探し、遊びに行こうとしていたのです。