撮影/加藤昌人 |
東京・浅草の明治時代から続く鍼灸院の家に生まれた。整形外科医に見放された老人たちが、祖父の治療によって痛みから解放される様を見て育った。大学で東洋医学の研究に没頭したのも当然の流れだった。
複雑な「症と薬」の相関を体系化したいと、パソコン誕生前夜の秋葉原に通いつめた。アスキー創業者の西和彦、後に分かれインプレスを起業した塚本慶一郎らとの親交を深めたのもこの頃だ。コンピュータを駆使し、移植を待つ患者のための人工臓器を作る――新しい目標が定まった。
臨床研修の場に聖路加国際病院を選んだ。だが移植医療はいっこうに花開かない。代わりに乳ガン治療のトレーニングを始めた。発展途上の腫瘍学のなかで、最も大規模臨床試験によるエビデンスが積み上げられた分野だ。コンピュータに通じる合理性に、次第に引かれ始める。「臨床を始めたばかりの頃は、患者さんは十人十色だと思った。今は千差万別だと感じる。その多様性のなかに普遍性を見つけ一般化するのが研究であり、この2つはリンクしていなければならない」。専門医として、退路を断った。
日本女性の20人に1人が乳ガンに侵されている。聖路加ブレストセンターの症例数は年間600を超える、トップクラスだ。週2回の外来日には夜の11時頃まで診察室に明かりが点る。食事も休憩も犠牲にして、乳房を、命を失う絶望と恐怖に丁寧に、根気強く耳を傾け、生きる希望に目を向けさせる。祖父譲りだ。
(『週刊ダイヤモンド』副編集長 遠藤典子)
中村清吾(Seigo Nakamura)●乳ガン専門医。1956年生まれ。1982年千葉大学医学部卒業後、聖路加国際病院外科にて研修。1993年より同病院情報システム室室長兼任。1997年米M.D.アンダーソンがんセンターほかにて研修。2003年より聖路加国際病院外科管理医長。2005年より同ブレストセンター長、乳腺外科部長。日本乳癌学会理事。