ロケットがミサイルに変わった
毎日のように続く新型インフルエンザの報道に呆れている。草なぎ全裸逮捕事件から始まって、ここ数カ月のメディアの暴走ぶりは、いくらなんでも常軌を逸している。何が起きたのだろう。まるでどこかで号砲が鳴ったかのようだ。でもこれまでの暴走とは何かが違う。なんとなく違和感がある。何だろう。
そういえば放送レポートの岩崎貞明編集長から、「例の北朝鮮のミサイル発射問題だけど、ミサイルなんて言葉を使っているのは、世界でも日本くらいのようだよ」と教えてもらった。以下は彼のブログからの一部引用。
(略)ところが、海外のメディア、外電の類は逆にほとんどすべてが「ロケット」という表記であり、韓国の報道でも「ミサイル」の表記は使用していなかったという。そして、4月13日に出された、国連安全保障理事会が北朝鮮を非難した議長声明でも、表現は「the recent rocket launch」(最近のロケット発射)となっていた(国連のサイトにあるニュースリリースより)。
日本の外務省は、この「ロケット発射」という記述を、より軍事的ニュアンスの強い「ミサイル発射」と翻訳した。ちなみに「不正確な訳ではないか」と国会議員から指摘された外務省の担当者は、「政府の見解が『ミサイル』なのだからこれで問題ない」と答えたそうだ。
自分たちの領空(のはるか上)にミサイルが撃ち込まれそうになったと思い込んだ国民の危機管理意識は、当然ながら高揚し、怒りは沸騰し、その帰結として、ジリ貧だった政府(麻生政権)の支持率は急激に上昇する。
その意味では、ブッシュもヒトラーもルーズベルトも東条英機もビッグブラザーもキング・ブラッドレイも金正日も含めて、為政者が国外の危機を煽りたがることは当たり前。そういう人たちなのだ。問題はむしろ、本来なら権力のこんな作為を監視して批判せねばならないはずのメディアが、その機能をまったく放棄するどころか、率先して「ミサイル」という言葉を使っていることにある(例外は「しんぶん赤旗」と「JAPAN TIMES」くらいのようだ)。
こうして仮想敵の危険性が強調され、次には「やらねばやられる」式の敵基地攻撃論を唱える政治家が現れる。賭けてもいいけれど絶対に現れる。同じように危機意識の塊となっている北朝鮮も、当然ながらエスカレートする。
それからどうなるかをもし知りたいのなら、高校の世界史の教科書でも読めばいい。いくらでも実例が載っている。
この状況には嘆息するばかり。でも今日のメインテーマは、このロケット(ミサイル)発射や北朝鮮問題ではない。芸能界における共同幻想だ。