共同通信社社会部編
日本軍参謀からソ連のスパイになった男が自白した「もっとも緊張した瞬間」
関東軍の参謀だった志位正二は、シベリア抑留中にソ連への協力を誓い、晴れて帰国後はソ連のスパイ網に組み込まれ、日本の安全保障に関わる情報を流していた。月4万円の報酬で祖国を売り続けた男の葛藤を追う。

シベリア抑留に「日ソ密約」はあったのか?瀬島龍三による「あってはならない歴史の改竄」とは
大戦中は日本軍のエリート参謀として数々の作戦立案に携わり、戦後は伊藤忠商事の海外ビジネスを足がかりに同社会長に登りつめた、瀬島龍三。ソ連のスパイであるとの噂が絶えないが、彼のもっとも重大な疑惑のひとつが、シベリア抑留に関わるものだ。日ソ中立条約を破って満州に侵攻したソ連軍との「降伏」交渉において、瀬島らは、満州にいた日本軍と日本人を差し出したとされる。筆者らの追及に対し、瀬島はどう答えたのか。

長嶋茂雄や高倉健を後援、昭和のフィクサーすら翻弄した「政商」の実名
1958年、日本政府はインドネシアと平和条約を結び、戦時中の占領に対する賠償として約800億円を支払うこととした。日本企業の生産物やサービスの形で提供される「ひもつき賠償」とあって、日本の各商社は眼の色を変えてこの巨額の賠償利権の争奪戦を繰り広げた。当時インドネシア政府とのパイプがなかった伊藤忠商事が、仲介を依頼した男とは……?
