
関東軍の参謀だった志位正二は、シベリア抑留中にソ連への協力を誓い、晴れて帰国後はソ連のスパイ網に組み込まれ、日本の安全保障に関わる情報を流していた。月4万円の報酬で祖国を売り続けた男の葛藤を追う。※本稿は、共同通信社社会部編『沈黙のファイル 「瀬島龍三」とは何だったのか』(朝日文庫)の一部を抜粋・編集したものです。この本は1999年に新潮文庫から刊行されたものの復刊です。登場人物の年齢や肩書きなどは95年の新聞連載時のままです。
日本で最年少の元情報参謀が
「ソ連のスパイだった」と出頭
「自分はソ連のスパイでした。どうぞお調べいただいて逮捕してください」
34歳の元関東軍情報参謀志位正二が、そう言って警視庁に出頭してきたのは1954年2月5日。在日ソ連代表部書記官ユーリー・ラストボロフ(当時32)が米国へ亡命してから12日後だった。
「何の前触れもなく公安第3課長だった僕の部屋を訪ねてきた。日本で最年少の参謀だった優秀な男でね。言葉遣いや態度も誠実で折り目正しかった。悩んだ末『すべて話そう』と覚悟してきたようだった」と元警察庁長官、山本鎮彦(75)が回想する。
敗戦国日本の裏で繰り広げられたソ連のスパイ工作。2カ月後、ラストボロフを調べた米当局から届いたリストには志位ら36人のエージェントが記されていた。戦後最大のスパイ事件の捜査が本格化した。
「ソ連はシベリアなどに抑留した日本人の中から利用価値のある者を選び、エージェントに仕立てて次々と日本に送り出していた。軍人、外交官、新聞記者……張り巡らした情報網の規模は想像を絶するものだった」