大島隆之
【特攻隊員】熱望した人が指名されず、望まぬ人が選ばれた…新発見の「志願者名簿」が示す“残酷な選抜ルール”
特攻隊員は、みずから「志願」して命をささげたのか。あるいは「命令」だったのか。戦後80年、特攻を語る際、常に議論となってきた。今回新たに見つかった資料「志望者名簿」をつぶさに見ていくなかから、その真実が見えてきた。※本稿は、大島隆之『“一億特攻”への道 特攻隊員4000人 生と死の記録』(文藝春秋)の一部を抜粋・編集したものです。

昼は遠足みたいにぼた餅を食べ…特攻隊員たちが夜にだけ見せた“素顔”
「叔父がどのように死んだのかを知りたい」。そんな切実な願いを抱き続けてきた特攻隊遺族の崎田孝子さん(※崎の大は立が正しい。以下同)。その叔父たちの部隊が、米空母に体当たり攻撃をした瞬間をとらえた映像が見つかった。はたして、孝子さんの叔父の最期とは…?特攻で戦死した崎田清少尉の生涯と、残された家族の思いに迫る。※本稿は、大島隆之『“一億特攻”への道 特攻隊員4000人 生と死の記録』(文藝春秋)の一部を抜粋・編集したものです。

“軍神”として特攻で散った兄…遺された妹がこぼした「どう表現したらいいか分からん」本音
「お国のために…」と散った特攻隊員。しかし、故郷の村人から「誇らしい」「立派だ」と死後に讃えられた若者たちが、どれほどの葛藤を抱えて飛び立っていったのか計り知れない。同じ過ちを繰り返さないためにも、我々は遺族の思いを語り継いでいかなくてはならない。筆者は、残された家族に話を聞いた。※本稿は、大島隆之『“一億特攻”への道 特攻隊員4000人 生と死の記録』(文藝春秋)の一部を抜粋・編集したものです。
