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「叔父がどのように死んだのかを知りたい」。そんな切実な願いを抱き続けてきた特攻隊遺族の崎田孝子さん(※崎の大は立が正しい。以下同)。その叔父たちの部隊が、米空母に体当たり攻撃をした瞬間をとらえた映像が見つかった。はたして、孝子さんの叔父の最期とは…?特攻で戦死した崎田清少尉の生涯と、残された家族の思いに迫る。※本稿は、大島隆之『“一億特攻”への道 特攻隊員4000人 生と死の記録』(文藝春秋)の一部を抜粋・編集したものです。
特攻で戦死を遂げた
崎田清さんの遺族を訪ねる
崎田さん(編集部注/崎田清(きよし)一等飛行兵曹。昭和19年10月26日にセブ基地で編成された特攻隊・葉桜隊の一員。現在の熊本県水俣市出身)の生まれ育った葛渡(くずわた)の集落は、海岸からのぼってきた国道を左に折れ、水俣川にかかる橋を渡った先にあった。
橋のたもとには、「友魂の碑」と大きく刻まれた立派な石碑が建てられている。車を降りて確認してみると、すぐそばの説明板に「崎田さんの中学時代の同級生が友の死を悼んで戦後に建てた」と書かれている。
崎田家は、集落の一番端にあった。アポなしで遺族を巡っているとよくあることだが、応答がなく、留守のようだった。家族の帰りを待つことにして、その間、集落の中で崎田さんの記憶がどのように伝わっているのか、尋ねて回ることにした。
崎田家では末っ子の清さんを含め男3人が全員戦死し、姉も他家に嫁いでいたため、まだ幼かった長男の娘が跡継ぎとなり、今に至っているそうだ。
そんな話をしているうちに、1台の軽自動車が、崎田家の方向へと向かっていった。「孝ちゃん、帰ってきたみたいだね」というので、話していた男性に別れを告げ、崎田家を再訪した。







