ドアは不思議だ。ただの物体なのに、美人を知っている。美人と相性がいい。ドアは美人を引き立てる。

 美人はドアを開けてもらえることが多い。先を譲られることが多い。ドアは小さな事故が起こりやすいが、美人はそういうトラブルに遭いにくいように思う。

 なぜだろう。それは美人が自分でドアを開けるところを見ているとなんとなくわかってくる。

 ドアに優しいのだ。ゆっくり開けて、ゆっくり閉める。きちんと閉める。閉まるのを確認する。ドアに対して無意識だが、尊重する気持ちがあるように見える。

 狭いドアでは譲り合いの気持ちを表すし、譲られたら感謝を表す。歩いてきて、ドアの前で減速する。ドアをどう開けるかをきちんと把握している。引くのを押すのを間違うことは少ない。自動ドアならタイミングを見ている。開くのが遅い自動ドアでも体当たりすることはない。

 ドアは「美人のもと」が増えたり、減ったりする場所なのかもしれない。

 ドアの開閉で大きな音をいちいち立てている人。回転ドアで回転が止まってしまう人。開けたドアを開けたままにしている人。引くべきドアを必死で押している人。ドアの取っ手が取れて、取っ手だけ持って立ちつくしている人。自動ドアだと勘違いしてドアにぶつかる人。「ドアを押す」という意味で「押」と書いてある場所を押しボタンと勘違いし、何度も押す人。自動ドアの反応が悪く、その場でピョンピョンしている人。電車のドアに挟まれている人。ドアにお尻を押されて転びそうになっている人。ドアを開放し、警報が鳴ってしまう人。

 そういう人を見ると、まさに「美人のもと」が消えていく瞬間の表情をしている。自分が悪いのに他人のせい、モノのせいにする。そして、その「せい」のほうを見て、にらむ、怒る。ドアに優しくしているだけで、起きなかったことなのに。

 ドアは別の空気の接点だ。新しい空気の場に行くとき、ちょっとした新鮮なものへの期待を持つ。この先起きることへのいい予感。そんなことを思いながらドアをくぐる。そうするだけでドアは「美人のもと」を与えてくれるのではないだろうか。