個人の戦略と社会の将来

 将来の人口減やこれを背景とした低成長が心配されているが、既に物質的には十分豊かであり、個々人としては、自分の生活レベルのベンチマーク選びさえ間違えなければ、将来の生活をそれほど不安視する必要はない、というのが現実だろうし、多くの国民がそう思うからこそ、この異様なまでに安定した社会が維持されているのだろう。

「老後の生活のためには1億円必要だ」などと言われたとしても、誰もがこれを用意できる訳ではない。しかし、これを用意できなくても、自分と似た経済力の集団と同様の生活をしていけば、そこには「それなり」の市場ができて、その市場に合ったモノやサービスが提供されるだろうから、そこそこに快適に生きていけるはずだ。老後の不安につけ込もうとする諸々の商売からの脅しに対して、大きく反応する必要はない。

 しかし、自分の生活レベルのベンチマークを定めて「分相応の生活」をすることは、個々人にとって適切な戦略だろうが、経済力のレベル差や生活の様式まで含めた「階級」を、割合短時間で(十年、二十年くらいの単位で)発生させるのではないだろうか。

 筆者は、仕事の都合などで、東京都内で頻繁に引っ越しをしてきたが、近年、ごく僅かの地域差であっても(たとえば同じ区内であっても)、住民の生活レベルやファッション、教育のレベル、関心を持つ対象などが、大きく変わることに驚いている。「階級」が発生する土壌のようなものは既にあちこちに感じられる。

 政権交代が行われても、政府の行動、ひいては社会が殆ど変わらないし、変えにくい構造にあることが分かった。政権が、民主党の現執行部の延長線上でも、小沢氏系の人々でも、自民党でも、大きな違いはないだろう。

 将来、日本社会の階級がもっと明確になったときに、真の意味での政治的対立が生まれて、大きく体制が変わるのかも知れない。

 日本に階級が生じるのを見ることがうれしいとは思えないし、それまでに、政治の無力ぶりを眺めることも楽しいとは思えない。多くの国民の政治への無関心には、そうなるべき理由がある。