同じく執行役員である畑敬子さんからは、こんな証言も伺った。

「社長は今年72歳になりますけれど、見た目は50代ですし、中身は20代かと思うくらいパワーがあります。寺田倉庫の社長だけでなく、海外企業の経営に携わっているなど、事業経験は豊富です。私も転職していろいろな職場を経験していますが、こんなにパワーのある経営者に会ったことはありません。それに、こんな変態な会社もないな、と思いました」

 社長は謎だし、会社は変態。どうやら、不思議な会社を訪問してしまったようだ。

天王洲の発展とともに変貌を遂げる

現在の天王洲アイル。寺田倉庫の奮闘もあり、現在ではかっこいい街に変化した
Photo by T.U.

 まずは複数の資料を総合しながら、寺田倉庫に関する基本的な概要を調べた。会社設立は1950年。長年、食糧庁の指定倉庫として米の保管事業に携わっていたようだ。

 品川区の運河沿いにある天王洲地区に本社を置いたのは1956年のこと。天王洲は当時、海運の拠点として流通倉庫が集積する殺風景な場所だった。高度経済成長時を経て、物流の主役が空輸へと移っていくなか、その求められる機能や役割にも大きな変化が生じていく。

 東京湾一体における港湾機能を見直す構想とともに、それまであった倉庫街をオフィス街へと生まれ変わらせる再開発事業が動き始めたのは1985年のことだった。地権企業22社による「天王洲総合開発協議会」が発足、その中心となって活躍したのも寺田倉庫である。

 1992年、JR浜松駅と羽田空港を結ぶ東京モノレールに「天王洲アイル」駅が竣工した。筆者はその翌年頃、取材で天王洲を訪れたことがあるが、バブル崩壊の時期と重なっていたため、立派な駅ビルが建っていても中は閑散としていて、「これで本当に大丈夫なのだろうか?」と思った記憶がある。

 月森さんが入社した1998年の時点でも、状況はそれほど変わってはいなかった。

「かっこいい街にしたいのに、なかなか実体が追いつかないと言いますか……。お昼を食べる場所もなくて、近くのコンビニを利用するしかなかったり。今でこそここは土日も賑わう場所になっていますが、5年くらい前までは土日に出社すると、人っ子ひとりいないような感じでした」

寺田倉庫が運営するレストラン「TERRA CAFE BAR」。倉庫会社ならでは、宇宙食からミリタリー色まで様々な種類の「保存食」を取り扱う
Photo by T.U.

 そんななか、街のイメージアップのため、孤軍奮闘してきたのも寺田倉庫である。運河沿いに、寺田倉庫の第1号倉庫をリノベーションしたレストラン「T.Y.ハーバー」をオープンしたり、”ボンドストリート”と呼ばれる旧倉庫街をアートで活性化したり、地元を巻き込んで「天王洲アイル夏まつり」を開催するのに一役買ったり、と天王洲とともに会社自体も変貌を遂げてきた。

 臨海高速鉄道りんかい線が一部開通し、新木場と結ぶ「天王洲アイル駅」が竣工したのは、2001年3月のことである。