注意を集中する能力を磨く
私はこれまで10年間、困難なことに集中して取り組む能力を磨いてきた。そもそも私は理論コンピュータ科学者として、MIT(マサチューセッツ工科大学)の名高い演算処理理論のグループで博士課程の大学院生として訓練を受けていた。そこでは注意を集中する能力は職業能力として不可欠だとみなされていた。
その間、私は大学院生の研究室を共有していた。相手はマッカーサー・フェローシップの取得者で、法的に飲酒が許される年齢になる前にMITに採用された教授だった。この理論家が研究室に腰を下ろし、ホワイトボードに書かれたものを見つめ、それを訪れた学者たちが取り囲み、彼らもまた座って凝視している図などめったに見られるものではない。この情景は何時間もつづいた。
私はランチに出かけ、帰ってきた――まだ凝視していた。この教授は連絡を取るのが難しい。ツイッターはやっていないし、知人でなければメールの返事はもらえそうにない。去年、彼は論文を16本発表した。
このようなすさまじい集中ぶりをうかがわせる雰囲気は、私の在学中ずっと学内にあった。当然ながら、私も同じようにディープ・ワークに努めるようになった。友人たちも、出版社の広報担当者たちも腹を立てるが、私はフェイスブックやツイッターのアカウントを持っておらず、ブログ以外のソーシャル・メディアにかかわっていない。
ネットでいろいろな情報を見ることはなく、ニュースはたいてい宅配の『ワシントン・ポスト』とNPR(ナショナル・パブリック・ラジオ)から得ている。
私も連絡が取りにくいだろう。私のウェブサイトには個人のメールアドレスは載せていないし、スマートフォンは2012年まで持たなかった(妊娠中の妻からの「息子が生まれる前に電話を持ってもらわないと」との最後通告によって購入)。