大正時代から現代まで、その時代の経済事象をつぶさに追ってきた『週刊ダイヤモンド』。創刊約100年となるバックナンバーでは、日本経済の現代史が語られているといってもいい。本コラムでは、約100年間の『週刊ダイヤモンド』を紐解きながら歴史を逆引きしていく。今回は、1960年代の国際通貨制度の調整過程でフランスが与えた影響を検証してみよう。(坪井賢一)
1967年、国際通貨の地位を降りたポンド
サッチャー政権登場まで続いた英国経済危機
英国の通貨危機によって最後のポンド平価切下げが実施されたのが1967年11月、このときをもってポンドは国際通貨の地位を降りることになった(前回参照)。
1960年代から70年代を通して、英国経済は低迷を続けていた。財政危機、国際収支の赤字が続き、保守党と労働党の政権交代はあっても、基本的に大きな政府をいただく福祉国家の英国はのっぴきならない長期経済危機に陥ったのである。
この危機は周知の通り、1979年5月に首相へ就任した保守党のマーガレット・サッチャーによる新保守主義革命の登場まで続くことになる。それまでの大きな政府から小さな政府路線へ舵を切り、民営化、自由化、大胆な規制緩和で90年代の経済成長へ導いたのである。
英国が危機にあった60年代に、第2次大戦の敗戦国日本と西ドイツは高度成長を続け、ポンドに続き、相対的に経済力が落ちた米国のドルにも危機が迫っていた。
仏シャルル・ドゴール大統領が目指した
反グローバリゼーションの波紋
欧州のもう一方の雄、フランスの1960年代に目を向けよう。じつは、フランスも1960年代は高度成長の時代で、シャルル・ドゴール大統領(1890-1970、第5共和制大統領在任1958-1969)の反アングロサクソン(英米)外交政策によって政治的にも独自の威厳を世界へ誇示していたのである。
フランスの一人当たり実質国民所得は、1960年から1978年へ倍増したのだそうだ(★注1)。日本や西ドイツよりはもちろん低率だが、欧州では西ドイツに続き、図抜けた高度成長である。国際収支もドゴールの大統領就任以降、1959年から黒字に転じている。