2010年11月、りそなホールディングス(HD)が発表した前代未聞の増資計画に市場は猛反発、株価は急落した。実質国有化から約8年、公的資金の呪縛にとらわれながらも、大ナタを振るった“細谷改革”の成果はいかに。
(「週刊ダイヤモンド」編集部 鈴木崇久)

りそなホールディングス<br />細谷英二会長インタビュー<br />「出資も含めたアジア戦略と地銀との連携で<br />高収益のミドルリスクを取りにいく」Photo by Kazutoshi Sumitomo

──なぜこのタイミングでの増資という決断に至ったのか。その枠組みも含めて批判が相次いだ。

 この約8年間、不良債権を一気に処理した最初の1年以外は赤字を出さずに、最も経営が安定している銀行だった。それなのに株価の面では大きく変動する、いちばん不安定な銀行になっていた。

 大量の公的資金がいまだ注入されたままで、いろんな思惑がマーケットを飛び交った結果だ。特にこの1~2年、銀行に対する国際的な規制強化などで不透明感が増し、りそなが努力した結果とマーケットでの評価が、まったくリンクしない状況が続いていた。

 こうした状況は、一日も早く克服しなければならない根源的な課題で、経営者の責任。今やらなければ、問題の先送りにしかならない。株価が低迷している逆風のときではあったが、周りには相談せずに1人で悩み抜き、決断した。

 確かに多くの批判もいただいた。しかし先送りにすれば、ますます株価の乱高下を許す。増資以外の選択肢はなく、どうしても乗り越えないといけないテーマだった。

 厳しい判断だったが、優先株が減って普通株に変わるという資本構成の改善で、これまでは無縁だった長期の投資家が株主に名乗りを上げてくれた。これから着実に経営成績を示し、次の経営戦略を打ち出していくことで、既存と新規、どちらの株主からも評価を得ていきたい。

──2010年8月に4000億円の公的資金を返済した際には、増資を考えなかったのか。

 じつはそのときの枠組みについて議論を始めた1年半前には検討していた。一気に1兆円規模の返済をするというメッセージを出せば、マーケットも銀行の顧客も、りそなに対する見方が変わると考えたからだ。

 しかし、それは法的に認められなかった。公的資金の返済をするとなれば、相手である預金保険機構と金額や条件、時期などを決めなければならない。これがある種のインサイダー情報になってしまうためだ。