「日本の中でスポーツを活用して社会につなげるという試みがあまりなかった。歴史的に見ても、スポーツは宣伝で使われたり教育で使われたりしていて、そうしたスポーツの良い要素だけを引き抜かれて使われてきた。でもそうじゃなくて、スポーツというのは実は人と人とをつなげたり、人の心がすごく暖かくなるようなすごい効用というか、効能をもっている。そういうものをまだまだ発揮できてないから、そこを作っていきたいんです」というのが天野の考え。

 だからこそ、クラブ運営には気を配ってきた。

「プロスポーツにおける強化と事業というのは、2輪なんです」と天野は言う。チームの強化については、だれが監督となるか、それに応じて戦術やスタイルは変わっていく。もちろん世の中のサッカーのトレンドも変化するし、選手も入れ替わりがある。つまり、チームが勝利するためには、変化することが不可欠だ。

 しかし、事業としてのクラブの理念は変えてはならない。「地元の街の人たちを幸せにさせる」という理念がブレるとクラブはうまくいかない。

 チームの目標は「勝利すること」だが、その一方で地域に貢献しなければならない。「地域のために、地域と密着して戦ってる。地域を代表してるんだ」という認識をチームとして持つ。だからこそ、プロモーション部の活動が大事なのである。

「ぼくは、温かさをどう作るのかを考えてきました。いままでずっとプロモーションでやってきたのは、クラブというものの温かさを感じてもらうこと。アットホーム感だったり誰でも受け入れてもらえる空気。みんなが笑顔で、みんなが楽しめる場所を作りたいということ」(天野)

 こうした思いは、天野がアメリカへの留学時代に体験したものが原風景となっている。天野が在学していたワシントン州立大学は人口2万5000人ほどの小さな街にある。この街がアメフトやバスケなどのカレッジスポーツで盛り上がるのだ。近隣の住人が試合の前日から街に集まり、みんなで飲み明かす。集まったおじさん連中が語り合い、派手なスタジャンを着ておばあさんが街を歩く。そうやって街がスポーツで幸せになる風景を、夢物語としてではなく実際に目の当たりにしてきた。

 だから「川崎の人たちを元気付けたい。川崎の人たちの笑顔が見たい」という思いはかなり具体的かつ現実的なイメージとして天野の頭の中に入っていた。実際に川崎市と川崎フロンターレとが協力しスポーツが地域を幸せにする光景を実現させようと試みてきた。