下着の聖地パリ

 旅先で、幸一のもとに一通の電報が届いた。

「5 HI PM1・35 JOSHI TANJO、 BOSHI KENZAI」

 それは出発時すでに身重の体だった良枝が、無事女の子を出産したという報せだった。

 すぐに対面できないのは残念だが、記憶に残る出来事だ。一人旅先で祝杯をあげた。

 彼女は今回の洋行にちなんで、洋子と名付けた。

 後年、洋子が物心つく年齢に成長した時、

「名前の付け方が安易だわ」

 と言われはしたが、幸一としてはいい名前だと自画自賛していた。

 7月下旬にはアメリカから欧州へと渡ったが、ロンドンでもパリでも驚きの連続だった。

 パリでは下着小売店の多さに目を見張った。

 (10軒に1軒くらいの割合で並んどる。これじゃまるで横町の煙草屋やないか……)

 そんな印象を抱いた。

 しかも、どの店も、手縫いの美しい仕立てのブラジャーが高額で売られている。

 (……ここは、下着の聖地や)

 アメリカを見て、なんでも安価に大量生産をしないと欧米には勝てないという考え方を持つ者も業界には多かったが、幸一はこれまで大事にしてきた品質へのこだわりが決して間違ってはいなかったことを実感していた。

 “良い製品”に対しては、消費者はその対価をちゃんと払ってくれるのだ。

 それにパリという街がどことなく京都に似た雰囲気を持っていたことが、幸一にはうれしかった。