かつての上官にたたきつけたクビ宣言!

「今の出張所は狭すぎてろくに接客もできやしない。これでは営業成績が伸びるはずないじゃないですか!」

 藪中はしばしば不満を漏らした。

 幸一だってそんなことはわかっている。先立つものがないから2坪ほどの汚い事務所しか借りられなかったのだ。

 だが東京進出を急ぎたい幸一は、厳しい財政状況をかえりみず、所長の藪中の訴えを聞き入れた。そして昭和27年(1952年)11月、中央区日本橋人形町3丁目にあるビルへの移転を決めるのである。

 近くにダンスホールもある繁華な地域である。「近江屋」の屋号を持った近江出身の商家も多く軒を連ね、町に活気がある。1階に東京銀行(現・三菱東京UFJ銀行)が入っているくらいだから立派なビルだ。今度は10坪強ある。

 清水の舞台から飛び降りる気持ちでの思い切った投資だった。

(これなら文句はないだろう)

 ところが、1ヵ月経ち、2ヵ月経ちしても朗報は聞こえてこなかった。

 出張所開設以来取引できたのは秋葉原デパートと数軒の専門店だけ。半沢商店ががっちり押さえているとはいえ、あまりにひどい。

「藪中たちは一体何やってるんや!」

 思いあまって幸一は、ある日、奥忠三を連れて上京することにした。

 出張所に一歩足を踏み入れるなり、彼らは驚くべき光景を目にした。

 藪中は部屋に応接セットとスチールの机を入れ、肘掛け付きの回転椅子に座ってふんぞりかえっているではないか。業績も上げずにいい気なものだ。京都では経費節約を徹底し、机も椅子も古くなったものを使っているというのに。

 壁には東京全域の地図が貼られ、軍隊の作戦図そのままに、赤や青の線が書き込まれ、小さな日の丸まで立てられている。

 藪中は地図を指さしながら、これから彼が計画している機動力を駆使した東京のローラー作戦なるものについて説明しはじめた。

(軍隊と商売は違う!)

 そう思いながらも、幸一は一応話だけは聞いてみることにした。

「広い東京を歩いていては埒が明かないので、これからは機動力を駆使して一気に取引を拡大していこうと思います」