“すごい、まったく凄い”
と喜んだのもつかの間……
昭和31年(1956年)6月15日(金)午後9時30分、幸一は羽田空港からアメリカに向け、日本航空の飛行機で飛び立った。
ちょうどジェット機が導入される端境期にあたり、彼が乗ったのはプロペラ機のダグラスDC7である。座席数100席ほどの小さな飛行機だ。航続距離が短いからハワイまで一気には行けず、日本とハワイの中間地点にあるウェーク島で給油することになる。
興奮もあって眠れないまま朝を迎えた。ウェーク島に到着し、殺風景な休憩所で朝食。隣の老夫婦から話しかけられたが、チンプンカンプンで、笑いながら英語ができないと手を振ることしかできなかった。
ここで米国の飛行機に乗り換え、再び機上の人となった。羽田からハワイまで、ウェーク島での2時間の給油時間を含めると20時間近くかけ、ようやくハワイ空港に到着した。
ハワイ在住の日系人の迎えの車でワイキキの海辺のホテルにチェックインしたが、日記には“すごい、まったく凄い”という言葉が頻出する。ここまでは万事予定通りだった。
サンフランシスコの空港に着いてからが大変だったのだ。
他の乗客の後をついて行ってなんとか入国審査をパスしたが、迎えに来ているはずの元吉の姿が見えない。ホテルの手配などがあるから先に現地入りさせていたのだが、待てど暮らせど姿を見せない。
あきらめた幸一は、やむなく一人で空港の外に出ることにした。
空港から市内行きのバスがでている。これに乗って終点に着いたが、さあここからが大変だ。勇気を鼓舞して地元の人に道を聞いた。
「プラザホテル?」
宿泊先に予定していたホテルの名前だ。